時には豊穣な生活を考え直すことも必要【メルマガ連携】

※この記事は、「Sheetmetal メールマガジン」No.165(2021年8月31日配信)からの転載になります。

 

日本には四季があり、折々に野山に咲く花を散策するのを楽しみにしてきましたが、最近は四季の変化を感じられないままに夏が去り、すぐに冬がやってきて、再び夏が訪れるような感じを持つようになってきました。

 

再開発事業で里山が宅地に造成され、可憐な花を咲かせていた木々も伐採されてしまいました。そこに集っていた野鳥の数も減り、鳥のさえずりを聞く機会も減ってしまいました。地球温暖化によって海面水温が上昇し、6月に日本近海の太平洋上で発生した台風が東日本や東北に直接上陸するといった異変が普通のことになってきました。

 

50年ほど前まではお盆が過ぎると波が高くなるので、海水浴に行くならお盆前までに ― と両親から聞かされていました。暑い夏、毎朝6時半から学校や近くのお寺の境内では子供会主催の「ラジオ体操会」が開催され、スタンプを押してもらえるカードを手にもって出かけました。

 

クーラーもなかった子ども時代には、家のそばを流れる農業用水からバケツで水を汲み上げて、玄関先や庭に水まきをして涼風を求めるのが、朝夕の私の仕事になっていました。ヒグラシの鳴き声を聴きながら水まきするのも、今思えば季節を象徴する日課のひとつでした。

 

今も思い出すと笑ってしまうのですが、小学校6年の時の児童会で、夏休みの課題を話し合う際に、「朝の涼しいうちに宿題をしましょう」と発言して、顧問の先生に笑われた記憶が鮮明に残っています。春になると、近所の畑一面にレンゲの花が咲き、妹にせがまれてレンゲの花を摘んで、花の首飾りをつくったこともありました。

 

さまざまなイベントに季節を感じて、生活をしていた気がします。しかし、今ではそうしたことを語り伝える機会も、季節感もなくなってきました。

 

生活が豊かになり、便利になると、それまで経験してきたイベントや遊びが消え、学校生活をはじめとした日常生活の中に季節がなくなってきました。また、隣近所とのお付き合いや、町内会をはじめとした地域のコミュニティーとの連携もすっかりなくなりました。氏神様の例大祭に子どもたちが担いでいたみこし祭りもなくなり、10年ほど前まではトラックにみこしを載せて町内を巡回していましたが、今ではそれすらもなくなりました。

 

生活はデジタル化によって楽になり、便利にはなりました。しかし、便利になったことで、二酸化炭素の排出量が増え、地球温暖化が加速し、季節変動も起こっています。生活が豊かになり便利になるとともに、失っていくものも大きくなりました。

 

私たちはコロナ禍の中で、自粛生活を余儀なくされています。ウイルスとの戦いはまだ収束の兆しが見えません。逆にウイルスの変異がさらに進むことで戦いが長引く可能性も出てきています。あらためて豊穣な生活を考え直す必要があるのかもしれません。