古今集に小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」という歌が収められています。
百人一首にも選ばれているので知っている方も多いと思います。
3月31日、明日から新年度が始まるのを見計らったように桜が満開を迎えました。
開花宣言があって1週間もたたずに満開となってしまいました。
今年は寒い冬が続き、春の花々の開花もいつもの年よりも遅いと感じていました。
自宅から最寄り駅に向かう道すがらの住宅街では、それぞれの住宅の庭にこの時期、日向水木(ひゅうがみずき)に始まって雪柳、キブシ、三叉(みつまた)、山茱萸(さんしゅゆ)、辛夷(こぶし)、木蓮と日を追って花が咲き始め、4月に入る頃に開花し満開となる桜並木の花回廊があります。
毎年3月中旬頃から次々と花をつけ、通勤途上の目を楽しましてくれます。
ところが、今年は日向水木の花を見たと思った矢先から、これらの花がいっせいに咲き始めました。
今朝の通勤で歩く道には、これらの花々がここぞとばかりに咲き誇っており、それは見事でした。
しかし、白い花を咲かせる辛夷や木蓮はすでに散り始めており、白色から茶色に染まった花びらが道に落ちていました。
それを見たときに頭をよぎったのがこの歌でした。
あっという間に色あせていく花に身を喩え、年とともに世俗の色、恋からも遠ざかっていく己の姿を歌った、小野小町の心のありようが浮かびます。
男女で老いの感じ方はそれぞれなのでしょうが、特に女性は顔の景色でそれを感じることが多いようです。
振り返って、企業でも己の人生も、「いたづらに」「ながめせしまに」うつろっていきます。
それだけに固いつぼみから花開くときの息吹を、いつまでももちつづけたいと思うのは私一人ではないと思います。
その意味で私は、2年前に亡くなられた比叡山延暦寺の酒井雄哉・大阿闍梨己が述べておられた「一日一生」という言葉が好きです。
「おはよう」「おやすみなさい」で一日を終えていく。
その一日を積み重ねていくことで一生ができ上がっていくと考えると、日が昇り、日が沈む、そしてまた朝が来る。
朝が来ない日はないと考えることができるようになり、「うつりにけりな」という感覚はなくなると思うようになりました。
外は強い風が吹いており、この風で桜の花びらも散り急ぐかもしれません。
もう少し花の色を楽しい見たいと思うのは私一人ではないと思います。