※この記事は、「Sheetmetal メールマガジン」No.152(2021年2月24日配信)からの転載になります。
今でも私が大切にしている言葉があります。10年ほど前に善光寺本坊大本願を参拝した折に、門前の掲示板に貼り出されていた「今月のことば」のボードに書かれていました。
― 走り続けている時は
目にはいらない風景があります
人生をゆっくりと歩こう
その時、はじめて気づく
幸せがあります ―
月刊誌を発行しているといつも締め切りに追われ、無事に発行できたとしても次号の取材や今後の企画、さらには付帯したさまざまな用件が山積みで、仕事の山を崩すのにあくせくした日々を送っています。早朝から遅くまで仕事に明け暮れる毎日です。そんな折に偶然出会ったこの言葉に感動しました。
当時から「Slow Life」 ― ゆっくりしてもあくせくしても1日は24時間、みんな平等 ― と、達観したような言葉も聞こえてきて、時の流れに身を任せる事が必要だとは考えていましたが、目の前の仕事に追われる毎日で、なかなか実現していませんでした。そんな経緯もあったので、山門前で出会った「ことば」に触発され、あらためて「人生をゆっくりと歩くこと」を意識するようにしました。
しばらくは出張で出かけた見知らぬ地方の風景や偉人伝などに感動することもありました。しかし、悲しいかな、馴染んでしまった行動はなかなか変わりません。いつしかまた、以前のような時間に追われる日々にどっぷりと浸かってしまっていました。
そこにコロナ禍が発生、外出や移動の自粛が求められるようになって、テレワークなど働き方にも大きな変化が現れるようになりました。取材でもオンラインツールを活用、移動しなくても仕事ができる仕組みができ上がりました。仕事の進め方ややり方も、少しずつ変わり始めています。だからこそ、走ることを止め、ゆっくりと歩くことを心がけようとしています。
この3連休は、2月中旬というのに5月下旬並みの暖かな日よりになったことで、自宅周辺の春近い野山を歩きに出ました。すでに梅は散り始め、八分咲きの万作や山茱萸(さんしゅゆ)にも出会えました。畔には蕗の薹(ふきのとう)、土手のススキの根っこ近くにはノビルも顔を出しており、天ぷらとみそ和えでいただきました。春の野菜は苦みから ― の言い伝えどおり、ほろ苦さに“春”を感じることができました。
子ども時代には連れだって野原に出かけ、つくしやヨモギなどをポケットに詰め込んで持ち帰り、祖母にヨモギ団子をねだったりしたものでした。今でも彼岸の頃のだんごは緑色のもの、大福もヨモギ大福を好みます。
そんな光景を思い出しながら歩く野辺は爽快でした。ゆっくり歩くと、いつもとはちがう景色が見えてくる ― たしかに忙しい日々だからこそ、そうした時間を持つことの大切さを再認識しました。
コロナ禍だからこそ、ゆっくりと歩くことが必要なのかもしれません。