「転ばぬ先の杖」になる「学び」の必要性【メルマガ連携】

※この記事は、「Sheetmetal メールマガジン」No.122(2019年12月26日配信)からの転載になります。

 

小誌1月号を手に取ると、2019年が終わり、新たな年が始まろうとしているのを実感します。

あわただしく過ぎた2019年を振り返ると、あの時にはこんなことをしておけば良かった ― と悔いばかりが残ります。

この歳になると後ろ髪を引かれるようなことはありませんが、後悔は記憶に残ります。

 

「転ばぬ先の杖」として学びの大切さを思います。

アインシュタインは「学べば学ぶほど、自分が何も知らなかったことに気づく。気が付けば気がつくほどまた、学びたくなる」と語っています。

 

私の知り合いに、幕末の儒学者・佐藤一斎の「少にして学べば、すなわち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。老いて学べば、すなわち死して朽ちず」という言葉を座右の銘にされている方がいます。

いただくメールの末尾に必ずこの言葉が書かれているので、この方からのメールを受け取るたび、日々学ぶことに精進されているのだと感心するとともに、みずからにも学ぶ時間を惜しまぬようにと言い聞かせています。

 

「学び」の機会は、書物だけでなく、日々の出来事やニュース、出会いなどさまざまな場面で見いだすことができます。

その中から自分に必要と思う言葉やニュースの背景や意味を、その時々に調べて確認することが大切です。

最近はスマートフォンですぐに調べられるので便利になりました。

しかし、調べた意味や解説を咀嚼して、自分の頭の中の引き出しに整理・整頓して登録する手間が必要です。

 

自分の頭の中の引き出しが満杯になって、新しい知識が入りきらないこともありますが、大半は自身の頭の記憶 ― 検索機能が衰えているからだと思うことがあります。

それが「後悔」につながることがしばしばあります。

学ぶ意欲があっても、それを記憶し、整理することが十分にできなくなってきました。

 

これを「老い」に責任転嫁するわけではありませんが、年齢とともに記憶し、整理する能力の衰えを感じるようになっています。

しかし、だからこそ「学ぶ」ことへの意欲を絶やさずに繰り返し新しい知識を採り入れる努力が必要なのかもしれません。

 

昨年取材した中で一番ガツンと来たのが、「チャンスに気づく、チャンスをつかみ取る能力を養う」という言葉でした。

何気ない出来事の中にも、チヤンスの芽は転がっているかもしれません。

時には神経を研ぎ澄まし、幸運の女神の微笑みを見つけ、捕まえたいものです。

 

2020年は5Gの運用が本格化し、情報通信の変革がヒートアップします。

また、AIを活用したさまざまな試みが日常生活の中に採り入れられようとしています。

私たちが学ばなければならない「知識」は、ますます膨大になっています。

そのスピードにどこまでついていけるかはわかりませんが、学ぶことの楽しさを忘れず、2020年は「後悔先に立たず」にならない人生が送れる年にしたいと考えています。

「守破離」で我を戒める【メルマガ連携】

※この記事は、「Sheetmetal メールマガジン」No.119(2019年12月3日配信)からの転載になります。

 

「守破離」という言葉があります。

 

これは、芸道や武道などの修業における段階を示した言葉と言われています。

「守」は、師や流派の教え、型・技を忠実に守り、確実に身につける段階。

「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。

「離」は、ひとつの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階 ― を示していると言われます。

 

先日、ある会合で挨拶に立たれた来賓の先生のお話が心に残り、この言葉が頭に浮かびました。

その先生が挨拶でおっしゃっていたのは、最近参加する学会の国際会議で若い研究者が論文を発表すると、発表者に対する質問が「その研究成果や実験結果の検証はできているのか」といったネガティブな質問が多くなっている。

「アイデアはおもしろい。もっとこうした実験をやったら良いのではないか、こんなアプローチで研究したら良いのではないか」というように発表者を応援する、ポジティブな質問が少なくなっている。

国際会議では、テーマをはじめとして研究や実験の進め方などのアイデアを大切にした質問を心がけなければいけない。

若い研究者の研究には「テーマはおもしろいからやってみなさい」という姿勢が大切だ。

研究を後押しするような質疑応答をする会議にしなければいけない ― というような趣旨でした。

 

その話を聞いて「守破離」という言葉が頭に浮かびました。

学会で発表してもネガティブな質問をされるので、発表する研究者も独自性を強調するために、他ではやられていない研究を強調する傾向になっている。

ややもすると、最近の研究や論文は奇をてらいがちに思われる。

若いからこそ時間がかかっても、まずは物真似と揶揄されても基本を学び、そこから地に足の着いた研究を積み上げる必要がある ― と、この先生は若い研究者に苦言を呈されているのではないかと思いました。

 

10年、20年の単位での独創的な研究をするためには「守」 ― 師や流派の教え、型・技を忠実に守り、確実に身につけることが必要で、独自性を出そうと、何でも良いから他の人が手がけていない研究をして論文を書こうと考えるのでなく、奇をてらうことなく、焦ることなく、重要な課題に正面から取り組みつつ、高いレベルの研究を行うことが必要だ、と話されていると思いました。

 

侘び茶を完成させた千利休が和歌の形式にまとめた「利休道歌(りきゅうどうか)」の中に「規矩(きく)作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」という歌があります。

「教えを守り続けながらも、いつしかそれを打ち破り、離れていくことも大切であるが、そこにある基本精神は忘れてはならない」という意味です。

師利休はこの歌の中で「守破離」の3文字を引用したものだといわれています。

 

学問研究もそうですが、日々の仕事の中でも「守破離」という言葉をみずからへの戒めとしなければならないと痛感しました。