今はもう秋 ― 種籾を「出藍の誉れ」のために役立てる【メルマガ連携】

※この記事は、「Sheetmetal メールマガジン」No.27(2016年9月29日配信)からの転載になります。

 

久しぶりの晴れ間に海が見たくて出かけました。風もなく海は凪いでいました。

私と同じような風情の人たちがたくさん訪れ、海岸の散歩道はにぎわっていました。

 

そんなとき、ついついトワ・エ・モワが歌っていた「今はもう秋 誰もいない海 知らん顔して 人がゆき過ぎても 私は忘れない 海に約束したから つらくても つらくても 死にはしないと」という「誰もいない海」の歌詞を口ずさんでいました。

40年以上も前にヒットした歌なので、このフレーズが自然に口ずさむということで年もバレバレですが「今はもう秋」という歌詞がなんともいえません。

 

あっという間に時間が過ぎていくので春夏秋冬の季節感を感じることもないまま、時が過ぎていく気がします。

特に今年は秋晴れのすがすがしい天候に恵まれず、蒸し暑さが残る日々が多いだけに、いっそう季節感をなくしています。

そんな時期に海を見たせいか、少しセンチな気分になったのかもしれません。

 

このヒット曲を歌ったトワ・エ・モワは前年の1972年2月に開催された札幌冬季オリンピックのテーマソング「虹と雪のバラード」を歌ってメジャーとなり、その翌年にこの歌を歌ったように記憶しています。

 

1964年の東京オリンピックで戦後復興を世界に宣言した日本が、さらに経済的に躍進したのが、この札幌冬季オリンピックでした。

特に笠谷選手を筆頭とする日の丸飛行隊がジャンプで金・銀・銅を独占したことは今でも忘れません。

テレビの前で中継を見守っていた多くの日本人に、勇気と誇りと自信を取り戻してくれた気がします。

そんな冬季オリンピックを象徴したのが、トワ・エ・モワのテーマソングでした。

 

そしてそのトワ・エ・モワが歌った「誰もいない海」という歌は、その後の日本経済を象徴する歌になった気がします。

 

人の平均寿命を80歳として、春夏秋冬を当てはめ、20年ずつに分けてみると、生まれてから20歳までを春、20歳から40歳までを夏、40歳から60歳までを秋、60歳からあとは冬となります。

 

40歳を過ぎた頃から、それまでの努力に対する実りが表面化してきます。

その度合いは人の努力によって様々です。

 

周りの人々の協力を得られた人は、さらに大きな実りを手にします。

そして秋も深まり晩秋になると、木々の葉が見事に色づきます。朝方にはぐっと冷え込み、その寒暖の差に耐えるとことによって紅葉が深まります。

燃えるような紅葉は人生でもっとも輝かしく、美しいともいえます。

 

日本経済も、戦後の高度経済成長からバブル経済と1980年後半から1990年代前半までが真っ赤に紅葉した頃で、その後は「失われた20年」といわれるようにデフレ経済の中、秋の実りを糧にして生きる「冬の時代」を迎えた感があります。

紅葉の時期のような渋い輝きを取り戻すことはできないままです。

 

そういう意味で1973年、1974年にヒットしたこの歌は、日本経済の戦後復興、高度経済成長の時代から気がつけば「もう秋」と、秋の訪れを教えてくれていたのかもしれません。

人生でも秋になれば精一杯のことをやったのだから、あとは後生のためにその身を捧げようという時期です。

この頃にバブル経済の頃のような自分さえ良ければ良いというようなことは考えず、様々な欲望がひろがる中でも、実りはほどほどにし、たくさんの実りを独占することはしないで、感謝の心を日本の多くの人々が持っていたならば、もっと別の社会が生まれていたのかもしれません。

 

今さらそんな思いにふけってみたところで変わりはしないのでしょうが、秋に収穫された稲は来年のための種籾(もみ)になります。

この種籾が新しい年に実ってくれることを祈り、夢を膨らませることもできます。

 

「出藍(しゅつらん)の誉れ」という諺があります。

弟子がその師よりもすぐれていることを言うようですが、自分の育てた社会が、今の世の中よりももっと人間らしい世の中になることが最高の喜びだとするなら、今こそ日本経済は「出藍の誉れ」のため、実りの秋に蓄えた種籾を、未来の子どもたちのために使わなければいけないと思います。

 

アベノミクスが果たして「出藍の誉れ」になるのか、気がかりでもあります。