特集

本格普及期を迎えたファイバーレーザ溶接の活用事例

多様な要望に応えるため最新設備を導入

若手経営者がグループ企業を育成―さらなる飛躍を目指す

株式会社 三進製作所

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画像:多様な要望に応えるため最新設備を導入①ファイバーレーザ溶接システムFLW-4000によるティーチング作業/②品質保持のため、TASによる補正は製品ごとに行う/③FLWによるファイバーレーザ溶接

「受けた仕事はどこよりも早く納める」

画像:多様な要望に応えるため最新設備を導入近藤伸秦社長

同社は1962年、名古屋市瑞穂区内の住宅街で塗装業として三進化学工業㈱を開設、創業当初の社員が3名だったことから、社名には「3人で進む」を意味した「三進」がつけられた。その後は、「受けた仕事はどこよりも早く納める」をモットーに仕事をこなしていった。

1970年には、板金加工から塗装までを一貫して行う㈱三進製作所を設立。新たに板金事業に取り組むにあたって、取引があった愛知県内の電機メーカーの社員を工場長にスカウトした。縁があった電機メーカーからは、川上の仕事である筐体加工を一式で受注できるようになった。板金加工から塗装までを社内で請け負う体制を構築することで、品質向上とスピードアップ、コストダウンに対応できるようになっていった。

1974年、住宅街での操業継続が厳しくなっていったことから、現在地の名古屋市天白区に工場を移転した。

画像:多様な要望に応えるため最新設備を導入左:名和工場に導入されたファイバーレーザ複合マシンLC-2515C1AJ。操作はベトナム人実習生の女性が担当/右:名和工場のベンディングマシンHD-1303NT

22歳で2代目社長に就任

近藤伸泰社長は、会社が設立された1970年に生まれた。子どもの頃から工場に出入りし、中学生の頃には夏休みになると友達を誘ってアルバイトとして働くようになった。溶接や塗装などの仕事も覚えていった。そして高校卒業と同時に同社へ入社した。

近藤社長は「母が小学校2年生の時に亡くなり、男手ひとつで4人の子供を育てた父の育成方針は、徹底したスパルタ教育でした。兄は子どもの頃から歯科医師になるのが夢で、私は小さい頃からモノづくりが大好きでした。父は、私たち兄弟のそんな性格を見抜き、私を後継者に育てようとしたのだと思います」と語る。

バブルが崩壊した1992年、先代は22歳になったばかりの近藤社長に2代目社長就任を命じた。

「年齢的にも若く、当時はわからないことばかりでした。先代の意図としては、厳しい時代だからこそ、危機をチャンスに変える経営を私に学ばせようとしたのだと思います。まずは会社全体を把握することが大切と思い、加工から塗装までの作業を必死で学びました」。

「次第にいろいろなことが見えてきました。世の中には板金専業、塗装専業の企業はたくさんありますが、板金から塗装までを扱う企業は周りを見回しても、それほど多くはありませんでした。板金加工から塗装までを一貫して請け負い、短納期で納めれば差別化になると考えました。さらに、受注した製品を製作するだけではなく、そこに工夫やアイデアをプラスして提案できる企業を目指すことが大切だと考えるようになりました」(近藤社長)。

  • 画像:多様な要望に応えるため最新設備を導入溶接後のステンレス製筺体。溶接面は焼け焦げも少ない
  • 画像:多様な要望に応えるため最新設備を導入三進化学工業㈱の塗装工場に導入した自社製の塗装クリーンルーム

会社情報

会社名
株式会社 三進製作所
代表取締役
近藤 伸泰
住所
愛知県名古屋市天白区道明町69
電話
052-831-1843
設立
1970年
従業員数
31名
主要事業
電気および自動制御盤、空調設備ダクト、高圧キュービクルの製作、分電盤、製缶一式、ステンレス加工(ヘアライン)、スチール製品の製作、板金塗装など
URL
http://www.sanshin-seisaku.co.jp/

つづきは本誌2016年12月号でご購読下さい。

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