「多品種少量生産」と「分散化戦略」の両輪で堅実成長
プレス・金型から板金加工へ進出
株式会社 内山プレス工業
プレス・金型・板金・サブアッシーに対応するオールマイティーな生産体制
㈱内山プレス工業は、「多品種少量生産」への対応と「分散化戦略」によって、約半世紀にわたり堅実な成長を遂げてきた。最大の強みは、プレス金型・治工具の設計・製作、金属プレス加工(順送・単発)、板金加工、溶接、一部サブアッシーに対応できるオールマイティーな生産体制。1973年にプレス加工企業としてスタートし、その後はプレス加工を中核としながらも積極的な設備投資によって、順送プレス(1981年)、金型設計・製作(1987年)、板金加工(2013年)、一部サブアッシー(同)と事業領域を広げていった。
「多品種少量生産」と「分散化戦略」
1980年代後半という早い時点で「多品種少量生産」への対応に活路を見いだした。1985年のプラザ合意の後、国内産業は労働集約型の組立工程から海外シフトが始まっていた。世間はバブル景気に沸いていたが、大量生産品の部品加工はいずれ国内から消えることが予想された。
同社は当時から、月間100個程度というプレス加工としては極端に小さいロットサイズの仕事にも対応。1案件あたりの仕事のボリュームや利益率は低くなるものの、将来も国内に残り続ける多品種少量生産の仕事を手がけることで、安定成長の基盤をつくっていった。
それと並行して、多種多様な業種・得意先と取引し、1社あたりの依存度(リスク)を低くおさえる「分散化戦略」を採り入れた。現在の得意先業種は、給湯器・ボイラー、自動車部品(ミッション系・エンジン周辺)、通信機器、医療機器、住宅用・業務用レンジフード、建築金物などとさまざま。得意先は約50社で、売上構成比は1社あたり30%前後を上限の目安としている。このスタイルが功を奏し、昨年来のコロナ禍では自動車部品などが落ち込む一方、給湯器・ボイラーやレンジフード、医療機器などの内需向け製品に支えられ、業績の落ち込みはほとんど見られなかった。
バラエティーに富んだ製品に対応
内山プレス工業は1973年、内山忠男会長が創業した。内山会長はもともと専業農家として農業に従事してきたが、冬場の収入を得るためにまったくの門外漢ながらプレス加工業にチャレンジした。業界の人脈も知識もなく、最初の1~2年は仕事がまったくなかったが、持ち前の粘り強さを生かし、紹介や飛び込み営業で少しずつ得意先を増やしていった。特定の業種・得意先にこだわらない内山会長の営業スタイルは、同社の「分散化戦略」の基礎となった。
1984年、前職でプレス金型の専業メーカーに勤めていた内山浩社長が入社した。この頃にはすでに、通信機器、電気・電子機器、自動車部品、生活用品(鍋・釜など)のプレス加工を手がけるようになっていた。内山社長が入社してからは、株式改組、工場の建設・移転、設備の増強、金型設計・製作への対応、ISO9001とISO14001の認証取得、板金工場の開設などに順次取り組み、現在のオールマイティーな生産体制を築き上げていった。
その結果、同社が手がける仕事はバラエティーに富んだものとなっていった。また、時代の変遷にともなって主力業種は、自動車部品、電気・電子機器、通信機器、建築金物、給湯器・ボイラーと変わっていった。手がける製品は、指先サイズの端子・コネクターから、肩幅を超えるパネルまでさまざま。材質・板厚・サイズ・要求品質も、業種・得意先によってさまざま。管理面の負担が増すなか、内山社長の入社翌年 ― 1985年には他社に先駆けて生産管理システムを導入している。
会社情報
- 会社名
- 株式会社 内山プレス工業
- 代表取締役
- 内山 浩
- 所在地
- 福島県岩瀬郡天栄村大字柿之内字沖内18
- 電話
- 0248-83-2231
- 設立
- 1986年(1973年創業)
- 従業員数
- 30名
- 主要事業
- 精密プレス部品加工・高速プレス部品加工/精密金型・治工具設計及び製作/精密板金加工
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