特集

事業領域拡大による成長再加速

事業領域の拡大・深耕で100年企業を目指す

業務用空調機器関連、受水槽関連、重軽量鉄骨の3分野が好調

株式会社 三藤製作所

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画像:事業領域の拡大・深耕で100年企業を目指す曲げ工程にはHD-1303NT(手前)、HG-8025(奥)などが並ぶ

創業79年 ― 九州地方の発展に貢献

画像:事業領域の拡大・深耕で100年企業を目指す会社設立当時の社名表札を掲げる藤雄一朗社長

㈱三藤製作所は1946年、藤雄一朗社長の祖父が兄弟3人で個人創業した。終戦後の物資が乏しい中、鉄工所として農機具を製造した。3人兄弟で創業したため、1952年に屋号を「三藤製作所」とした。1956年に法人化し、溶接製缶・建築金物の事業に取り組むようになった。

1969年頃からはシャーリング加工、パンチング加工を開始した。1976年に現在地に移転し、工場・事務所を建設した。この間に、現在も主力得意先であるビル・商業施設向け空調設備機器メーカーの協力工場として認定を受け、空調設備機器に付帯する板金部品の加工を行うようになった。

その後は、塗装設備の設計製作や、共同住宅や商業施設の屋上などに受水槽などを設置する際の架台も手がけるようになった。そのほかにも、建設金物、重軽量鉄骨、ステンレス金物、支保工製作など、多種多様な製品を受注するようになった。

削岩したトンネルの上・横からの荷重を支える支保工は、九州新幹線や高速道路のトンネル工事に使われた。重軽量鉄骨は、福岡市中央区天神エリアの都市再開発誘導事業「天神ビッグバン」で建設された高層ビルで使われるなど、幅広い事業領域で活躍してきた。

  • 画像:事業領域の拡大・深耕で100年企業を目指す2018年に導入したパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512B(サイクルローダー仕様)
  • 画像:事業領域の拡大・深耕で100年企業を目指す熟練技能者がRG-M2 3512(手前)などのベンディングマシンを使いこなす

2024年4月に4代目社長に就任

「当社の今日があるのは、祖父と父がていねいな仕事でお客さまから信頼をいただいてきたからです」と藤雄一朗社長は語っている。

藤社長は2024年4月に就任した4代目社長で、42歳になったばかり。創業から79年が経ち、順調にいけば「100年企業」の節目は藤社長でむかえることになる。それだけに、先代・先々代が築きあげてきた得意先との信頼関係のさらなる強化に力を注いでいる。

「大学に入学するまで、自分が事業承継するとは考えていませんでした。父も『おまえの好きな道を歩めばいい』と言ってくれていたので、大学は県外、学部はマネジメント学科を選択しました。大学卒業が近づくと就職や事業承継を真剣に考えるようになりましたが、どうするか決めかねて、卒業後1年間はぶらぶらしてしまいました。最終的には当社への入社を決断しましたが、父の助言もあって、3年間ほど業態が似ている同業者の工場で、板金加工の実務経験を積ませてもらいました」。

「27歳で当社に入社した後は、アマダスクールが開講している『板金総合6カ月コース』(GMC)を受講しました。板金加工の総合的な専門知識・技能の習得を目指し、図面の読み方、工程設計、展開、データ作成、抜き、曲げ、溶接、組立、検査などを学びました」。

「GMCを受講した後、会社では主に上流のデータ作成を担当しました。慣れてくると午前中に仕事が終わるようになったので、当社に専任の営業担当がいなかったこともあり、お客さまをまわるようになりました。また、九州シートメタル工業会をはじめ、各種団体や協会、行政が開催する講習などにも積極的に参加して、人脈を広げるとともに知識を深めました」。

「入社後10年が経過した頃から部長、常務と歴任し、40歳をむかえる頃には、父から社長交代の話をされるようになりました。コロナ禍の影響が落ち着くのを待って、2024年4月に社長交代となりました」(藤社長)。

画像:事業領域の拡大・深耕で100年企業を目指す左:アイアンワーカーIW-45Ⅲで形鋼の穴あけ・切断に対応する/右:コラム・H鋼・ガセットプレートなどによる重軽量鉄骨の製作例(工場の中2階)

会社情報

会社名
株式会社 三藤製作所
代表取締役
藤 雄一朗
所在地
福岡県糟屋郡粕屋町大字上大隈665-1
電話
092-938-2409
設立
1956年(1946年創業)
従業員数
20名
主要事業
空調架台設計製作、建設金物製作、重軽量鉄骨製作、ステンレス金物製作、塗装設備設計製作
URL
http://www.mifuji.co.jp/

つづきは本誌2025年5月号でご購読下さい。

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