業種を問わないレーザジョブショップ
後継者はデザインとモノづくりのハイブリッド ― デザイン雑貨の製作・販売も
株式会社 アラキ 専務取締役 荒木 勇希 氏
子どものころから工場が遊び場
荒木勇希氏
「子どものころから、私にとって工場は遊び場でした」と荒木勇希専務は語っている。
1990年生まれの荒木専務は、小学2~3年生のころから、日曜日になるとたびたび父親である荒木強社長に連れられて、工場に出入りしていた。明石市の自宅から加古郡稲美町の工場まで車で約20分、出がけに買ってもらった菓子を食べながら一日ぼんやり過ごすこともあれば、プラズマ加工機で加工した製品のバリを除去する作業を手伝って小遣いをもらうこともあった。「正月にも工場にきて、父がCADを操作しているのを隣で眺めていた記憶があります」という。
荒木社長は、仕事で多忙でも子どもとの時間を大切にする父親だった。忙しかったため自宅にいる時間は短かったが、早く帰れる日にはよく遊んでくれたという。
「小学3年生のとき、仕事があまりに忙しくて構ってもらえなかったので、『どうしても音楽会の発表を見に来てほしい』と駄々をこねたことがありました。音楽会の当日、私の番になったときに体育館のトビラが勢いよく開いて、父が入ってきた。激務の合間を縫って都合をつけてくれたらしく、私の発表だけ見て、挨拶を済ませると、すぐに戻っていきました」。
荒木専務は3人兄弟の末っ子で、姉とは10歳、兄とは9歳、離れている。荒木社長は3人とも工場に連れてきたことがあるが、「勇希は一番、自分に近いと感じた」という。
「一番モノづくりが好きだったのは勇希です。工場にも、嫌だったらついてこなかったはず。『鉄工所向きなのはコイツだな』と思っていました」と荒木社長は振り返る。
「しかし、当時は子どもに会社を継がせようとは少しも思っていませんでした。吹けば飛ぶような会社を継がせるよりも、安定した仕事に就かせてやりたいというのが正直な気持ちでした。会社は私の一代限りで終わりにするつもりで、M&Aにも興味をもっていました。『勇希が会社を継ぐことになるかもしれない』という予感は頭の片隅にありましたが、本人から『やる』と口に出さない限りは決して押しつけまいと決めていました」。
ファイバーレーザマシンFLC-3015AJ
HD-5020NTによる曲げ加工(板厚6㎜)。曲げ角度センサーBi-Lにより曲げ加工精度が安定
多方面から受注するレーザジョブショップ
㈱アラキは、建築金物・プラント・建設機械・造船関連・一般製缶などさまざまな分野から受注するレーザジョブショップ。得意先は兵庫県内企業を中心に100社前後で、約60社から毎月継続して仕事を受注。材質は鋼板がメイン、板厚2.3~22㎜に対応し、ファイバーレーザマシンFLC-3015AJやFO-MⅡ RI3015など3台のレーザマシンで加工している。板厚6~12㎜の範囲を最も得意とし、レーザ加工から曲げ・溶接まで対応することで付加価値を高めている。
1990年、当時29歳だった荒木社長は、鉄道車両メーカーに社外工として勤務していた伯父から誘いを受け、同工場内で製缶加工の請負業として個人創業。1993年に現在の工場の空きスペースを借り、鉄工業としてスタートした。
①荒木専務の自宅。リビングの奥には小型のレーザ加工機が設置されている/②小型のレーザ加工機でオリジナルのデザイン雑貨などを製作/③ECサイトで累計販売数4,000個以上のアクセサリーハンガー
会社情報
- 会社名
- 株式会社 アラキ
- 代表取締役
- 荒木 強
- 専務取締役
- 荒木 勇希
- 住所
- 兵庫県加古郡稲美町加古715-1
- 電話
- 079-492-7996
- 設立
- 1990年
- 従業員数
- 13名
- 主要事業
- 一般製缶、建築金物、建設機械・造船関連部品などのレーザジョブショップ
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