主役は社員 ― “黒子経営”を追求
社長就任の前年にJMCを受講―後継者の自覚が芽生える
株式会社 キョウエイ 代表取締役社長 佐藤 将志 氏
“生かされている”感覚
「自分は昔から“生きている”というよりは“生かされている”という感覚が強い。この感覚は私にとって大切なもので、今の私の経営スタイルにも結びついていると思います」と佐藤将志社長は語っている。
佐藤社長は4歳の頃、背骨が側方に曲がる先天性側湾症を患っていた。原因不明の難病で、保育園から小学6年生まで、物々しい矯正ギプスを装着していた。小学生のころは、他人とはちがう出で立ちがいじめや冷やかしの対象となり、「当時は大の人嫌いだった」という。
野球好きだった佐藤社長は、小学生のころはリトルリーグのチームに所属。矯正ギプスを器用に脱着しながら大好きな野球に没頭するうちに、治るのは数万人にひとりという難病が治ってしまった。そして中学2年生の後半には、たまたま他のクラスに友だちができたことで小学校から継続していたいじめや冷やかしもなくなり、生活環境が一変した。
「初めて人のありがたみを感じました。好き嫌いせずに接していると、仲間になってくれる人がいるとわかった。仲間は私を守ってくれるし、私も仲間を守らなければならない ― これが私の基本スタンスです」と佐藤社長は振り返る。
現在37歳の佐藤社長は、自身の経営スタイルについて「主役は社員」「私なりの“黒子経営”のかたちを追求していきたい」などと語っている。後ろ向きにも受け取られかねない発言だが、そのベースには少年時代の体験と“生かされている”という感覚がある。支え支えられながら、仲間を生かし、仲間を守ろうとする佐藤社長の姿勢は共感を呼び、自社だけでなく協力会社や同業者、異業種企業など、垣根を越えて協力し合える集合体をつくることにもつながっている。
プレスから板金へとシフト
㈱キョウエイは1967年に創業、2代目にあたる佐藤嘉志雄会長が1972年に社長に就任してからは、大手電機メーカーのプレス加工企業として確固たる地位を築いていった。1982年、佐藤会長の弟にあたる佐藤裕司相談役が入社してからは、一部、板金加工も手がけるようになった。1990年頃には本格的に板金加工をスタートし、板金・プレス加工の2本柱で事業を発展させてきた。
2008年、佐藤会長は大手電機メーカーの協力会の視察旅行で中国を訪れた際、現地のプレス工場が昼夜を問わず人海戦術でフル稼働している様子を目の当たりにし、日本国内のプレス加工の事業環境はますます厳しくなると考えた。当時はまだプレス加工事業だけで年間1億円程度の売上があったが、佐藤会長はプレス加工事業からの撤退を決断、その3カ月後にリーマンショックが起こった。
佐藤会長は「あのときに撤退を決断していなかったら、経営環境はずいぶん悪化していたでしょう。だからというわけではありませんが、次の世代になっても“一生、板金”などとは考えず、“板金の次”を柔軟に考えていってほしい」と語っている。
プレス加工からの撤退で一時的に売上は落ち込んだものの、プレス加工で培った金型や治具のノウハウを活かした高品質なモノづくりには定評があった。2010年代に入ってからは毎年のように得意先を開拓、2015年には同社初のレーザ搭載機であるパンチ・レーザ複合マシンLC-2012C1NTと、3mまでの曲げ加工に対応できるベンディングマシンHG-1303を導入したことで加工領域が拡大し、県外の仕事も積極的に取り込むようになっている。2016年には新規の得意先を4社開拓し、現在の得意先社数は約20社。売上高も毎年右肩上がりで推移している。
会社情報
- 会社名
- 株式会社 キョウエイ
- 会長
- 佐藤 嘉志雄
- 代表取締役社長
- 佐藤 将志
- 住所
- 長野県上田市富士山2416-12
- 電話
- 0268-38-8859
- 設立
- 1967年
- 従業員数
- 28名
- 主要事業
- 電子・電気機器、通信機器、計測器、医療機器などの精密板金加工
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