凄腕の営業マンから100年企業の4代目社長へ
板金加工の可能性を信じて ― 部品加工の道を究め、顧客ニーズをつかむ
株式会社 佐藤医科器械製作所 代表取締役社長 佐藤 進平 氏
心理学を学び、メーカー営業へ飛び込む
佐藤進平氏
明治40年(1907年)に京都で創業され、108年の歴史をもつ㈱佐藤医科器械製作所。2015年4月、その4代目社長に、32歳の佐藤進平氏が就任した。
佐藤社長は佐藤和雄会長の次男として生まれ、同志社大学心理学部を卒業後、ファクトリーオートメーションの総合メーカーであるキーエンス(本社・大阪府)に入社。画像処理システム事業部に営業マンとして配属され、入社5年を経ずして画像処理システム事業部の営業成績で全国トップ3に常時入る凄腕営業マンに成長した。しかし入社6年目に入った2011年春頃、家業である㈱佐藤医科器械製作所の事業継承を決意する。
「12歳年上の兄は学問の道を志し、家業を継がないことが早い段階ではっきりしていました。次男の私は、家業を継ぐ決心がなかなかつきませんでした。同志社大の付属高校では、工学部にも進めるように理系の科目も履修しました。しかし大学進学時は、どんな仕事に就いても人とのつながりは出てくるので、あとあと役立つ分野として、心理学部を選択しました。就職活動のときは、色々な会社を見ることができる経営コンサルタントや人材サービス会社を中心に考えていましたが、友人に紹介されたキーエンスは採用活動がおもしろく、営業力がある会社と感じました。営業ノウハウはどの分野へ進むにしても必要になる ― そう考えて入社を決めました。家業を継ぐ決心はつかないながらも、常に家業のことが頭にありました。二股をかけていたわけではありませんが、いつでも“選択”ができるようにと考えていたように思います」と佐藤社長は振り返る。
左:2015年に創業を開始した第2工場(野州工場)/右:従来の得意先との勉強会にも活用しているVA/VE事例集
6年目の春 ― 事業継承を決断
「父から面と向かって『戻ってこい』と言われた記憶はありません」(佐藤社長)という。
キーエンスに入社し、営業マンとして実績を築き、周りからも評価を受ける中で、佐藤和雄会長は「キーエンスで仕事を続けるのであれば戻ってこなくてもいい。別の人に継いでもらう道もある」と話していたという。
佐藤社長は「キーエンスは大きな会社ですから、事業部制を敷いていて、組織も細分化していました。私は営業であり、かつ画像処理システムしか担当しない。営業成績の全国順位や月次目標、周囲の期待など、やりがいはありました。しかし、ある程度自分で仕事をまわせるようになると、少しずつ刺激が薄れていく感覚に陥ることもありました。そういう心境の変化もあって、入社6年目に入った2011年春、家業に戻ることを決心しました。当時の上司は事情をよく理解してくれて、引き継ぎに少し時間がかかりましたが、2011年末に円満退社できました。当時関わりがあった方々とは今でも交流があります」と語っている。
2015年11月に導入したファイバーレーザ複合マシンLC-2512C1AJ
ファイバーレーザ溶接システムFLW-4000。2012年初頭、佐藤社長の入社と同時期に導入され、佐藤社長が立ち上げを担当した
会社概要
- 会社名
- 株式会社 佐藤医科器械製作所
- 代表取締役社長
- 佐藤 進平
- 本社
- 京都府京都市中京区西洞院通御池上ル押西洞院町606
- 滋賀工場
- 滋賀県野洲市野洲1515-1
- 野洲工場
- 滋賀県野洲市野洲1333-1
- 電話
- 077-587-1081
- 設立
- 1981年
- 従業員
- 60名
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