2次サプライヤーに徹する中小製造業の生き残り戦略
積極的な情報発信と企業間連携で実現した自社商品開発
有限会社 小沢製作所 代表取締役社長 小沢 達史 氏
㈲小沢製作所は、東京・八王子で半世紀以上にわたり、精密板金加工の専門企業として事業を展開。「板金屋のための板金屋」を掲げ、板金1次サプライヤーを主要顧客としながら「頼れる2次サプライヤー」に徹してきた。
2019年12月に33歳で3代目社長に就任した小沢達史社長は「新たな価値の創造を通じて、作りたいに応えます」をビジョンに定め、継承した事業を守りながら、地域に根ざした自社商品開発でさらなる成長を目指している。
小沢社長は東京薬科大学で分子生命科学を学び、米国・ロングアイランド大学で経営学修士課程(MBA)を修了。帰国後、ITシステム大手でエンジニアとして2年間勤務し、2013年に27歳で小沢製作所に入社した。入社後は製造現場で板金加工のノウハウを学んだのち、地域の後継者育成塾やSNSを通じて、八王子市内の中小企業経営者やデザイナー、NPO法人、行政担当者などとの結びつきを強くしていった。
中小製造業の事業環境がますますきびしくなる中、同社の取り組みは2次サプライヤーに徹してきた企業の生き残り戦略の一例といえる。小沢社長に話を聞いた。
異色の経歴から町工場の経営者へ
― 大学で分子生命科学を学び、米国留学でMBAを取得、IT企業に勤めたのち家業に戻るという異色の経歴をお持ちです。経緯をお聞かせください。
小沢達史社長(以下、姓のみ) 幼い頃から創業者である祖父から会社を継ぐように言われ、経営者に対する漠然とした憧れはありました。進学時はバイオテクノロジーに惹かれ、東京薬科大学に入学しましたが、研究職になじめず方針転換。経営学を学びなおし、本気で事業を引き継ぐことを決めました。
大学卒業後に米国のロングアイランド大学へ留学し、経営学修士課程(MBA)を取得しました。経営戦略やファイナンス、統計分析、サプライチェーンマネジメントなどの基礎的な内容を英語で学びました。IT企業ではエンジニアとして、クライアントのニーズを聞きながら、大手企業の人事評価システムのプログラムコードを書いていました。
IT企業で2年ほど勤めた頃、年齢的にも頃合いと考えて、家業に戻ることを決めました。入社してからはスポット溶接、CAD/CAM、ブランク、曲げ、生産管理と順番に担当していきました。
2次サプライヤーの構造的課題
― 2013年に27歳で入社し、6年後の2019年に33歳で3代目社長に就任されました。小沢社長から見て御社の事業はどのように映っていたのでしょうか。
小沢 当社は「板金屋のための板金屋」を基本スタンスとし、2次サプライヤーに徹しています。1次サプライヤーのお客さまと仕事の取り合いになってはいけないので、大手メーカーとの直接的なつながりはありません。単品よりは中ロット以上の仕事を得意としていて、中心ロット帯は100個前後、リピート率は70~80%です。
会長(小沢孝志会長)が掲げた「板金屋のための板金屋」という言葉は素晴らしいと思います。一言で当社のターゲットを明確に示している。長年の取引で積み上げてきた信頼が当社の基盤ですから、2次サプライヤーに徹するスタンスは継続すべきと考えています。
ただ、2次サプライヤーの事業はひどく不安定です。業績は、世の中のトレンドとは少しちがう理由やタイミングで変動します。基本的には、大手メーカーが忙しくなり、1次サプライヤーが満たされて、ようやく当社も忙しくなります。不況時は1次サプライヤーの考え方に大きく左右されます。のちのち忙しくなったときのことを考えて仕事を出し続けていただければありがたいのですが、2次サプライヤーから仕事を引き上げて内製化するような動きが出てくると、2次サプライヤーだけが大きく沈むことになります。
こうした受注変動の波を吸収できる仕組みが必要だと感じていました。どうしても利益率が低くなるので、差別化投資の原資をどこで生み出すかも課題です。持続的な成長のためには人材確保の課題も深刻です。
会社情報
- 会社名
- 有限会社 小沢製作所
- 代表取締役社長
- 小沢 達史
- 所在地
- 東京都八王子市美山町2161-6
- 電話
- 042-650-7360
- 創業
- 1966年
- 従業員数
- 18名
- 事業内容
- エレベーター、食品安全検査装置、工作機械、医療機器、半導体製造装置などの精密板金部品製造、レーザ加工、筐体製造
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