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需要拡大が見込まれるエレベーター需要に対応

設備更新で6kWファイバーレーザマシンを導入

鳴島工業 株式会社

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画像:需要拡大が見込まれるエレベーター需要に対応左:4月に導入されたファイバーレーザマシンENSIS-3015AJ+AS-3015TFS/右:エレベーターのカウンターウエイトのブラケットの厚板はENSIS-AJで加工している

エレベーターの製缶板金部品の仕事を受注

画像:需要拡大が見込まれるエレベーター需要に対応鳴島清博副社長(左)と鳴島清恵社長(右)

鳴島工業㈱は1941年に鳴島清恵社長の叔父が創業し、終戦後の1953年に叔父と鳴島社長の父親が2人で㈲鳴島工業所として設立した。1960年に鳴島工業㈱に社名を変更、翌年に東京本社羽田工場が完成し、大田区内に工場があったエレベーターメーカーの仕事を受注するようになった。

その後、初代社長にあたる叔父が51歳で急逝したため、12歳年下だった鳴島社長の父親が2代目社長となった。1972年に神奈川県相模原市に橋本工場を開業。大手重電機メーカーがエレベーター事業を開始したのを機会に、その協力工場としてエレベーターの製缶板金部品の仕事を受注するようになり、売上に占める割合も増えていった。

この頃に大学を卒業した鳴島社長は、エレベーターメーカーの工場で現場作業や設計を担当する部門に所属して、エレベーターのものづくりに関連する総合的な知識を学んだ。

1983年に大田区昭和島に工場を開設、3工場体制となった。ところが1985年、2代目社長である父親が57歳で急逝し、29歳だった鳴島社長が3代目社長に就任した。

  • 画像:需要拡大が見込まれるエレベーター需要に対応事務所にある2次元CAD/CAM AP100
  • 画像:需要拡大が見込まれるエレベーター需要に対応曲げ加工が終了した製品

小国工場の建設とエレベーターガイドレール加工事業の開始

鳴島清恵社長は「社長就任当時、厨房関係の仕事やイベントに関連する舞台装置関係の仕事も受注していましたが、主力のエレベーター関連の仕事が70%を占めていました」。

「また、工場が本社工場、橋本工場、昭和島工場と3カ所に分かれ、横持ち作業になっていました。1カ所に集約することも考えましたが、当時は工業団地ブームで、工場統合に必要な規模を持つ工場用地の手当てが難しかった。そんな時に、当社役員の1人の出身地である新潟県苅羽郡小国町(現・長岡市)から、工場進出を薦められました。当社のために農地を転用、工業団地を造成していただけるという、大変ありがたい申し入れでした。農地転用の手続きから造成、電気・ガス・水道などのインフラ整備も町当局がすべて手配してくれました。そして1987年、敷地3,000坪に小国工場を建設、開業しました」。

「小国工場では、製缶板金以外の事業としてエレベーターの昇降を支えるエレベーターガイドレールの加工事業を開始しました。高層建築物が増えるにつれ、エレベーターの高速化が進み、ガイドレールにもきわめて高い精度が要求されるようになってきました。高度な加工技術を培うことで、現在は大手エレベーターメーカーはもとより、国内エレベーターメーカーのほぼ半数にあたる15社の企業と取引があり、売上の40%を占めるようになりました。東京スカイツリーやあべのハルカスなどにも当社製ガイドレールが使われています」と就任後に決断した小国工場の建設や、そこで開始したエレベーターガイドレール加工事業について語っている。

画像:需要拡大が見込まれるエレベーター需要に対応左:溶接工程/右:エレベーターガイドレールを粗加工から仕上げ加工まで連続して行うことができる専用プレーナーでの切削加工

会社情報

会社名
鳴島工業 株式会社
代表取締役社長
鳴島 清恵
本社
東京都大田区西糀谷3-35-12
小国工場
新潟県長岡市小国町七日町2950-1
電話
03-3745-2828(本社)
0258-95-3122(小国工場)
設立
1953年
従業員数
101名(うち小国工場72名)
主要事業
エレベーターガイドレール・製缶板金部品加工
URL
http://www.nr-tq.co.jp/

つづきは本誌2020年11月号でご購読下さい。

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