“墨田”の高い技術力を発信し、「墨田のものづくり」を未来へとつなぐ
一社依存からの脱却
株式会社 協栄医科工業
耳鼻咽喉科用機械器具の製造業としてスタート
㈱協栄医科工業は1947年、徳永武志社長の祖父・徳永啓人氏が、江戸川区平井の発注元の倉庫を借りて耳鼻咽喉科用機械器具の製造業としてスタートした。1949年に墨田区横川3丁目へ移転。1959年に協栄医科工業㈲として法人化。それとともに、墨田区東墨田2丁目に第二工場を開設した。1969年に現在地に本社工場を建設、移転した。
1982年には株式改組するとともに、創業者の啓人氏が会長、父の徳永清氏が2代目社長に就任、耳鼻咽喉科用機械器具を製造し続けた。1983年からは発注元で製造する厨房機器の製造も開始。その後、運動機器、電熱機器などの仕事も受注するようになった。1990年にはアマダのパンチ・レーザ複合マシンAPELIO-255を導入した。1991年には現在の社屋と工場が完成する。それにともない、病院や各種飲食業で使用される適温配膳車、テーマパーク設備の仕事を受注するようになり、得意先は徐々に増えていった。
2008年2代目社長の死去にともない、母の徳永惠美氏が3代目社長となった。
4代目社長就任の経緯
徳永武志社長は4人兄弟の末っ子として生まれた。長男はホテルマンとなり、次男・三男は会社に入り両親を支えて製造現場で働き、溶接工としての腕を磨いた。一方で、徳永社長は音楽や調理が好きで、音楽業界ではラッパーやDJとして活躍した。また、料理人として調理師資格も取得、いつかオーナーシェフになろうと志していた。
父親の急逝で、暫定的に母親が3代目社長に就任したものの、先々の事業承継をどうするか、そのための後継者を誰にするか家族会議が開かれた。長兄はホテルマンとして責任ある立場におり、会社に戻る意思はなかった。そして次男、三男は「職人として、引き続きものづくりに専任したい」と後継者になることを拒んだ。その結果、フリーな立場でさまざまな業界を経験してきた、末っ子の徳永社長が後継者になることに決まった。
「DJや料理人といった仕事をやりたいという思いもありましたが、祖父、父、母と3代にわたって継続してきた家業を止めるという選択肢は私にはありませんでした。もともと、ものづくりは嫌いではなく、祖父や祖母、両親が働く後ろ姿を見て育ってきたので、兄たちの協力を得ながら、自分が事業承継者として4代目を継ぐことを決意。2012年9月に当社に入社しました」(徳永社長)。
会社情報
- 会社名
- 株式会社 協栄医科工業
- 代表取締役
- 徳永 武志
- 所在地
- 東京都墨田区東墨田2-26-8
- 電話
- 03-3612-3808
- 設立
- 1959年(1947年創業)
- 従業員数
- 23名
- 主要事業
- 精密板金加工、各種金属レーザ加工、金属溶接加工、金属研磨加工、組立
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