中・小型制御盤のワンストップ工場を目指す
会社の存続・成長のために社長就任直後から工場改革を推進
株式会社 第一機工
社長就任を決心させた子息の存在
㈱第一機工の前身は、ねじ締め機、ナットランナー・サーボプレスの開発製造・販売などを手がける第一電通㈱(本社:東京都調布市)可児工場の協力会社だった㈲三和製作所。第一電通は1986年に三和製作所をM&Aで取得、第一電通社長の城井正純氏が代表に就任した。同時に会社名を㈲第一機工に改め、2006年に株式改組した。
2015年に第一機工の社長に就任した高橋奈津子社長は、3代目にあたる。城井正純氏の次男である2代目社長の城井祐二会長は、経理担当者として会社実務に精通していた高橋社長を後継社長に大抜擢した。
「会長から突然『(社長を)やってくれんか』と持ちかけられたときには驚きました。降って湧いたような話で、身に余る大役ですから、ずいぶん思い悩みました」と高橋社長は振り返る。
高橋社長に社長就任を決断させたのは、子息であり、現在は製造部部長を務める高橋翔さんの存在だった。
高橋部長は大手自動車部品メーカーで1年強勤務してから第一機工に入社し、12年のキャリアを積んできた。入社当初はプログラムからスタートし、その後タレパン、レーザ、溶接、曲げと各工程を経験。専任の営業マンをもたない同社にあって、得意先の営業窓口として見積りも一手に担うなど、今では工場内の全工程を把握するオールラウンダーに成長した。
「2015年当時、息子はすでに工場の中心的存在に成長していました。社長就任の件を息子に相談したところ、『自分もできる限り協力するから引き受けたら良い』『その後の会社の面倒を見る覚悟もある』と本人の口から聞くことができました。頼りになる息子が支えてくれるならきっと大丈夫―そう思えるようになって、社長就任を引き受けました」。
社長交代を機に、同社は第一電通グループとの資本関係を解消、持ち株会社である第一ホールディングスを新たに設立し、第一機工の株式を100%取得して、自主独立の道を歩むことになった。
中・小型の制御盤筐体が主力
第一機工は中・小型の制御盤筐体の製作を得意とし、毎月100台以上を生産する。
得意先は約40社で、このうち約20社から定期的に受注している。売上構成をみると、工作機械メーカー向けと昇降機メーカー向けの制御盤が約30%ずつ、第一電通可児工場向けの制御盤が約15%で、主力3社で80%弱を占めることになる。
加工材料はほとんど鋼板で、SPCCが多い。板厚は1.2~2.3㎜が中心だが、昇降機向け制御盤のベース部分(4.5㎜)や、プレート・ブラケット(9㎜)などに中・厚板を使用することもある。また、昇降機向け制御盤はすべて50×50㎜の角パイプを使用したフレーム構造で、補強材としてチャンネル・アングルを使用することもあるため、パイプ・形鋼の使用割合はそれなりに高い。新規品の割合が高まってきてはいるが、リピート率は約80%と高い。
2015年に高橋社長が就任したころは、主力の加工マシンとしてレーザマシンFO-3015NT、パンチングマシンEM-2512NT、ベンディングマシンFBDⅢ-1253NTを使用していた。生産管理システムもなく、受注台帳・作業指示書・作業日報などは帳票ベースで管理を行っていた。
この生産体制に限界を感じた高橋社長は、就任直後から大胆な設備投資と工場改革に打って出る。
「現場のスタッフの話に耳を傾けてみて、仕事量は回復しているのに対応できない―慢性的な人手不足と老朽化したマシンでは、生産能力をこれ以上高めることはできないと判断しました。それで、しばらく停滞していた設備投資を再開し、自動化・省熟化により、人手に頼らず生産性を高められる最新設備を導入するとともに、外国人実習生の受け入れも含めた人材補強にも乗り出すことを決断しました」(高橋社長)。
会社情報
- 会社名
- 株式会社 第一機工
- 代表取締役会長
- 城井 祐二
- 代表取締役社長
- 高橋 奈津子
- 住所
- 岐阜県可児市大森1501-995
- 電話
- 0574-64-2305
- 設立
- 1962年
- 従業員数
- 23名
- 事業内容
- エレベーター制御盤、工作機械制御盤、電子機器に関する精密板金加工
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