レーザマシンの活躍で企業が変わる
第二創業をキックオフ
フォレスト工場に似合うエコマシン、ENSIS-AJを導入
株式会社 晋和工機
①ファイバーレーザマシンENSIS-3015AJ+ASFH-3015G/②ENSIS-AJで加工したアルミ・板厚2.0~5.0㎜の製品。「切断面はきれい」(溝江慶社長)と評価
工場設備保全から板金加工へ
溝江慶社長
㈱晋和工機の創業は、溝江慶社長の父親が1965年ごろ、名古屋市内の大手重機メーカーの工場設備保全を受取で行う「溝江組」を個人創業したのが始まり。
1971年に名古屋市港区内に工場を開設、当初はフライス盤、プレーナーなどの工作機械設備を導入してポンプや造船関係の部品加工の仕事を手がけ、1980年になって工場を増設。そのころから船に大量に使われる雨樋の仕事が発注されるようになり、板金加工に転換。1982年に溝江慶社長が入社、1983年にシャーリングマシンM-2560、コーナーシャー、セットプレスSP-30Ⅱ、パンチプレスOCTO-334を導入して板金に本腰を入れた。やがて港区内の工場では手狭になってきたことと、工場周辺が宅地化され騒音・振動の苦情が出るようになり、行政当局からも改善の勧告を受け、工場の安定的な操業が難しくなった。
そこで工場移転を計画するようになり、1988年になって岐阜県恵那市に約2,000坪の土地を確保、工場を新築移転した。当時、社長たちは繁忙で溝江社長の母親・溝江明子会長が候補地を探し出した。溝江会長は候補地へ日参して、日照や風向きなどを確かめ、工場建屋の形状、方角などを検証した。また、名古屋市内から新工場への通勤は不可能なので溝江社長や両親、兄弟など社業に関わる一族の移転先も確保しなければならなかった。
当時、工場への道路は舗装済みだったが林道を通らなければならず、上下水道も敷設されていなかったので、コンプレッサーなどの冷却用に地下水をくみ上げ、クーラントに貯めて使うなど、工場の立地環境としてはインフラ整備が遅れていた。上下水道はようやく昨年度に敷設されたという。
左:岐阜県恵那市にある㈱晋和工機の本社工場/右:SolidWorksで作成されたラック棚の3次元モデル
新工場での操業
同社がある恵那市郊外まで、すぐに材料を持ってきてくれる材料屋はいない。そこで鋼種・板厚ごとに一定量の材料を在庫する必要があり、1990年に自動倉庫MARSを導入した。このころは、鉄道車両、特に新幹線車両の床下に取り付けられる風切り音防止カバー、クリーンルームに使われるパネルなど、主にアルミを材料とする部品加工を行っていた。
1994年ごろからベンディングマシンFBDⅢ-8025LD/1030Fなどを次々と導入。1999年には2次元CAD/CAMAP100とネットワーク化されたFBDⅢ-1030NT、1998年にはクリーンルームのパネル加工に対応することを考え、パンチ・レーザ複合マシンAPELIOⅢ-367Vを材料供給装置ASR-510CR付きで導入し、MARSから材料供給を受ける運用とした。
2001年には事務所で作成した加工データを工場のマシンに転送するASISネットワークシステムを構築。さらにこの頃から、これまでテンポラリーに受けていた愛知県内の大手工作機械メーカーの機械カバーを2次請けするようになり、次第に工作機械カバー関連の仕事へシフト、2008年には第2工場を竣工した。
FBDⅢ-1030NTなどが並ぶ曲げ加工エリア
組立まで終え出荷を待つ機械カバー
会社情報
- 会社名
- 株式会社 晋和工機
- 代表取締役
- 溝江 慶
- 住所
- 岐阜県恵那市武並町藤481
- 電話
- 0573-28-2880
- 設立
- 1975年(1971年創業)
- 従業員数
- 26名
- 業種
- 工作機械カバー、配電盤、筐体、焼却炉、リサイクルボックス
つづきは本誌2016年7月号でご購読下さい。