視点

「心の鏡」に自身の姿を映してみよう

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先日ある方の講演をお聞きする機会がありました。その時のお話に「心の鏡」という言葉がありました。人は厳しい現実に対峙した時、その現実を受け入れていくのか、それにあらがって自ら運命を切り開いていくのか。人生いろいろ、時々の困難な現実の中で、多くの人が選択―決断を求められます。

そんな時に人は、自分の中にある「心の鏡」に映る自身の姿をみて、自分の姿が歪んで見えるのか確かめる時があります。そして歪んで見えると、それを己の反省につなげるのではなく、他者―つまり他人=鏡のせいにして、鏡が歪んでいるから自分の姿が歪むのだと、都合よく納得することも多いと思います。

私自身を振り返っても、公平に物事を見ていたか、必ずしもそうでないような、忸怩たる苦い思いが腹の底から湧き上がってくることがあります。

鏡は正面しか映りません。後ろ側を見ようとすれば背面に鏡を置き、正面の鏡に映し出された後ろ姿で確認することができます。平凡な例では、外出前に正面の姿だけを姿見で見てチェックするのではなく、背面にも鏡を置き髪型や襟の形などを見て直す、というのが一般的なエチケットです。

学生時代の先輩から聞かされたのが「合わせ鏡」の話です。「合わせ鏡」は物理現象では、鏡と鏡を合わせると無限に鏡が合わさっていく、というように理解されていますが、先輩が話してくれたのは、「鏡同士を合わせる」という言葉にかけて、「自分自身に合わせ鏡を持ちなさい」という趣旨だったと記憶しています。

大学1年生の時にこの話を聞かされて以降、「合わせ鏡」という言葉は、自分の行動に責任を持って判断をする時の指針となっていました。自身の姿を常に見守る「合わせ鏡」を持っていなければ、人は傲慢になり、驕りから間違った道を選択してしまうことがある―と教えられたと思い、強く印象に残りました。以来、「合わせ鏡」を自身の心の中に持ち、考え、行動してきたつもりです。むろん、その時々の現実の中で歪んだ姿を鏡のせいにしたこともありました。また、自らを諫めたこともありました。そんな思いが胸の奥に燻ぶっていたので、講演会で聞かせていただいた「心の鏡」という言葉は、抵抗なく私の心のうちに入ってきました。

そして今回の話を聞いて思ったことがありました。たぶん多くの人が経験したことかもしれませんが、子どもの頃にはお婆さんやお爺さんから、「誰も見ていないといって悪さをしても、お天道さまは必ず見ていなさる。人さまの迷惑になるようなことをしてはいけないよ」と言われます。「お天道さまが見ていなさる」という言葉は、ある意味で人間の規範の中心にあったと思います。だからこそ今回の講演で聞いた「心の鏡」も同じように、人が人として生きていく時の原点のような言葉だと思いました。

板金業界でも最近、世代交代を迎える企業が増えています。父から子へと事業がすんなりと継承される場合もあれば、いつまでも先代が会長として君臨、社長の影が薄い会社もたくさんあります。また、継承する子どもが2人以上いる場合、子どもの間で骨肉の争い事が起こることもあります。

現実に対した時にこそ、「お天道さまは見ていなさる」という言葉を思い起こし、「合わせ鏡」「心の鏡」に自身の姿を映し、自身の姿が歪んでいるのか否かを、確かめることが必要だと思います。結局「何も変わりはしない」と考えたり、諦めのループに陥る前に、時には現実にあらがうことも必要だと思います。

運命は変えられる―そんな言葉を耳にすることがあります。一度自身の姿を鏡に映してみることが必要だと思いました。

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