Interview

夢はホールディング化

現場力を強固にするため、来年は板金設備の大型投資を計画

株式会社 鵜飼 代表取締役社長 柳原 弘幸 さん

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画像:夢はホールディング化板金加工を行う第3工場。4台のレーザマシンや複数のベンディングマシンを設備している。来年、自動倉庫MARSと連動したファイバー㈱鵜飼の本社ビルと本社工場レーザ複合マシンLC-C1AJを導入予定

㈱鵜飼(うかい)は、岐阜県垂井にあった自転車のリムやキャスターを製造する柳原工業(後年に解散)で工場長をしていた現社長の祖父が1947年に個人創業。1953年に㈱鵜飼プレス工業所として設立、今年で創立62年目を迎える。独立当時は、バスの車体やストーブなどの部品のプレス加工をしていた。1963年、「岐阜県金属工業団地」に移転。その後は事業の拡大とともに団地内に第2、第3工場を設立、創立35周年目の1988年に現社名の㈱鵜飼に社名変更した。その直前から中部地区の大手工作機械メーカーからパレットチェンジャーなどの部品加工の仕事を受注するようになり、プレスによる量産加工から旋盤、マシニングセンタによる機械加工、板金加工による多品種少量生産に事業形態が変わっていった。

創立45周年を機に、現社長の父親である柳原(やなぎはら)幸一現会長が2代目社長に就任、この頃から現在の主力得意先3社で売上の大半を占めるようになった。現在は工作機械関連が売上の50%、コンベア・自動倉庫などのロジスティック事業が45%となっている。

柳原弘幸社長は、大学卒業後5年ほど銀行勤めをした後、2006年に同社へ入社。創立61周年の2014年に3代目社長に就任した。銀行出身だが、モノづくりが好きだった祖父の血を受け継ぎ、事業家としてのモチベーションも高い。「50歳までには会社をホールディング化、創立100周年を迎えるまでには年商100億円規模の事業体に発展させたい」との夢がある。元バンカーである柳原社長からみた㈱鵜飼とこれからの製造業について話をうかがった。

画像:夢はホールディング化柳原 弘幸氏

―「鵜飼(うかい)」という社名と御社の事業内容とは、すぐに結びつきません。まず社名の由来から聞かせてください。

柳原弘幸社長(以下、姓のみ) 創業当時の事情に関してはよく理解していませんが、1953年の創業時に祖父は「岐阜といえばウカイ」と言われるように、広く知れ渡るような企業に発展させたいとの想いで社名を決めたようです。1988年には全社員から社名を公募したようですが、社員全員が旧社名から「プレス工業所」を除いた現社名に賛同したようです。

―国の中小企業工場集団化事業の第1号として各務原市に誕生した「岐阜県金属工業団地」ですが、御社は開設とともに進出された十数社のうちの1社でした。この50年間の景気変動で在籍企業にも出入りがあったと思いますが、発足当時から継続されている企業はどのくらいですか。

柳原 詳細は分かりませんが、ピーク時は70社ほどあった企業数が、現在は50社にまで減っています。開設当初からの企業というと10社だと思います。

―その意味で御社は変化対応力を備えるとともに事業を発展、従業員数も152名、売上高も今6月期決算では20億5,800万円と成長されています。その原点は何ですか。

柳原 社会の変化とともに製造するモノも様々に変わってきましたが、おかげさまで創業60年を迎え、次のステージのスタートラインに立つことができました。これもお客さまに恵まれたことと、現会長が「100人で1億円の利益を出せるなら200人で1億円の利益を出す方が地域貢献できる」という考えで、実利よりも博愛・社会貢献を大切に考える人だったようで、その考え方が世間に通用したようです。私も、会社の使命は、製造する製品を通してお客さまが必要とする「価値」をお届けすること、そして、その手がけた「価値」が、社員、お取引先、エンドユーザー(社会)をつなげ、良い関係をつくっていくこと―でなければいけないという信念を持っています。

会社情報

会社名
株式会社 鵜飼
代表取締役会長
柳原(やなぎはら) 幸一
代表取締役社長
柳原 弘幸
住所
岐阜県各務原市金属団地114
電話
058-382-1181
設立
1953年
従業員数
152名
主要事業
金属プレス・板金・折曲加工・溶接・切削・塗装・組立一式
URL
http://www.ukai-gifu.jp/

つづきは本誌2015年11月号でご購読下さい。

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