10年先を見据えた「ものづくりのデザイン」を考える
BREVIS-AJ、HG-ATCを工作機械カバー部品の生産に活用
株式会社 東円鈑工所
工作機械産業の発展とともに成長
㈱東円鈑工所は1977年、加藤公平社長の父親である加藤公彦氏の勤務先が廃業したことで、得意先の工作機械メーカー担当者からのすすめにより創業した。
同氏は青森から犬山市内の板金工場に就職した。この地域は、当時から中部地区でさかんだった工作機械産業のメーカーの工場が集積しており、工作機械関連の仕事を手がける板金工場が多かった。
当時の工作機械は現在主流のフルカバーの工作機械ではなく汎用機が主で、板金加工で製作する工作機械カバーもスプラッシュガードのような製品よりも、モーターカバーやメンテナンス用カバー、各種ブラケットが中心だった。
NC旋盤は1965年頃から、マシニングセンタは1970年頃から開発・販売されるようになり、工作機械カバーに対するニーズが顕在化していく中で、同社の事業も成長していった。
1989年には隣接地を取得し、現在の本社工場(一部3階建て)を建設して、パンチングマシンやレーザマシンを順次導入。2000年に板金ネットワークシステムASIS100PCLを導入して工場内をネットワーク化し、2002年にネットワーク対応ベンディングマシンFBDⅢ-1025NTを導入するなど、生産設備を充実させていった。
主力得意先の工作機械メーカーは、受注変動が激しい工作機械業界の中で、ほかの工作機械メーカーとの提携、経営統合へと発展していった。2006年に関連会社が統合して新会社が発足し、同社はその協力会社として認められ、そのタイミングで法人化して㈱東円鈑工所となった。
2018年に社長交代 ― 組織改革に着手
2018年、創業者・加藤公彦氏の子息である加藤公平氏が2代目社長に就任。先代から引き継いだ工作機械カバー一筋の技術力を維持したまま、新たな組織づくりを模索していった。昔ながらの職人気質の町工場から脱却するため、人事面、作業効率化の捉え方、顧客との関係性を重点的に、組織とはどうあるべきかをもう一度考え直し、組織づくりをした。
人事面では、正社員、外国人労働者、パート社員それぞれの役割を雇用形態別に明確にした。作業効率化の捉え方については、それまではセル生産方式の比率が高かったが、作業者個々の得手不得手をある程度考慮して専任化し、効率化をはかった。
得意先との関係性については、「良いものをつくれば良い」という考え方をあらため、良いものをつくって納めるだけでなく、納期遵守の徹底や問い合わせへの即時回答など、顧客満足度向上をはかることに力を入れた。
10年前まで10名程度だった従業員数は、今では20名を超えた。コロナ禍の中にあっても地道に事業を進め、状況が落ち着いたタイミングで新たな設備投資もできた。
工作機械カバー部品をパーツ単位で生産
得意先は10社ほどで、その大半が工作機械関連。主力の工作機械メーカーからの売上が全体の80~85%を占めている。主力の工作機械メーカーからは旋盤系2機種、マシニングセンタ系4機種のカバーを受注している。
生産する製品はスプラッシュガード、オイルパン、ATCカバー、メンテナンス用カバー、各種ブラケットなどの板金部品。パーツ単位で受注し、カバー補強用のブラケットなどを溶接した板金モジュールとして納品することが多い。
加工材料はSPCCの板厚1.2、1.6、2.3㎜が中心。ブラケット類の板厚9㎜が最大板厚となっている。
同社のブランク加工用マシンはパンチ・レーザ複合マシンLC-2012C1NT、コンパクトファイバーレーザマシンBREVIS-1212AJ(リポジショニング仕様)、コンパクトレーザマシンQuattroの3台で、加工範囲は4´×8´まで。しかし、ベンディングマシンは曲げ長さ3mに対応できるため、大型カバーは協力工場で5´×10´の材料を加工してもらい、曲げ・溶接を自社で行って納品するケースもある。
会社情報
- 会社名
- 株式会社 東円鈑工所
- 代表取締役
- 加藤 公平
- 所在地
- 愛知県犬山市字東大円17-55
- 電話
- 0568-67-4975
- 設立
- 2006年(1977年創業)
- 従業員数
- 21名
- 主要製品
- 工作機械カバー部品
- URL
- https://toenban.co.jp/
(2023年3月リニューアル予定)
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