伝統と革新 ― 板金業界の100年企業に学ぶ
創業から154年、時代を超え受け継がれる「創業者の強い思い」
最新技術を活用し、ものづくりを革新的な産業へ進化させる
株式会社 クレスコ
①現場に設置されたモニターに表示された自社開発の生産管理システム「MonoGress」の画面/②現在開発中の所在管理システム「MonoSight」
多角化推進により未来実現企業を目指す
川井雄之介社長(左)と藤津貴司MonoPro事業部/開発部部長(右、2026年9月取材時の役職)
1859年の開港以来、西洋文化の玄関口となった横浜では、「横浜の父」と呼ばれた実業家・高島嘉右衛門が1872年に設立した「日本ガス社中」によって、馬車道本町通りに日本で初めてガス灯が設置された。脚柱部は英国のグラスゴーから輸入したが、心臓部であるガス灯のノズル(燃焼口)は日本の職人によって製造された。この職人が㈱クレスコの創業者・川井伝平氏だった。川井氏は南部藩の元藩士で、明治維新後に上京して、ドイツ人技師から旋盤加工の技術を学び、ドイツ製旋盤を導入。ガス灯ノズルの製作と同じ1872年に東京品川で鉄工業を創業した。ここから㈱クレスコの歴史が始まった。
1930年に㈱川井鐵工所を設立。1943年には得意先の住友通信工業㈱(現・NEC㈱)の工場が岡山市内に移転したことにともなって、岡山工場を開設、無線通信機器の製造に携わった。1945年には児島工場を分社し、児島市赤崎(現・倉敷市児島赤崎)に味野無線工業㈱を設立、1946年に川井鐵工所を解散した。
1950年には味野無線工業の本社を岡山市上石井に移転、金属プレス加工業に転換した。1954年に三井造船から石油プラント用キャップの仕事を受注し、国内初とされるキャップ生産を起点にプレス事業を拡大した。1959年に事業拡大で岡山市西古松に大元工場を建設、1960年には大元工場を本社とし、社名を岡山プレス工業㈱に変更、1970年に本社工場を現在地に移転した。
その後オイルショック、エネルギー政策の転換、環境問題を受け、1990年に事業の多角化による業容の変化と今後の発展を期して、ラテン語で「増進」を意味する「㈱クレスコ」に社名を変更した。多角化推進により限りなく拡がる未来実現企業のあり方を追求するという経営理念に基づいている。
左:2基のファイバーレーザ複合マシンACIES-2512T-AJ+AS-2512NTK+ULS-2512NTKが稼働する自動化ライン/右:非鉄材料加工品への対応から吸着パッドを自前で取り付けたパレットチェンジャー
24歳の若さで6代目社長に就任
2016年には当時24歳だった川井雄之介氏が6代目社長に就任した。2022年には創業150周年をむかえ、2023年には本社敷地内に製缶板金加工を行う第4工場を竣工した。
川井雄之介社長は「先代である父親が体調を崩し、兄は研究一筋で企業経営に肌があわなかったことから、素材メーカーで勤務していた次男の私が社会人1年目に急きょUターン。24歳で6代目社長に就任しました。就任当初は周囲から、未熟で生意気な若者と見られた時期もありました。一方で、外部への関心が強く、新しい情報や人に触れ、変化を恐れずに採り入れてきたことは現在の経営にも生かされていると思います」。
「就任時に約6億円だった売上高は、2025年度に17億円と約3倍に拡大、利益も10倍ちかくに増加、営業利益率も10%超えを達成しました。顧客、協力会社、地域の経営者の先輩方、社員に恵まれたことが大きいです。特に、若く経験の浅い私を信じて10年間ともに取り組んでくれた、社員のみなさんの努力のたまものだと感謝しています」という。
ベンディングマシンが並ぶ曲げ工程
ファイバーレーザ溶接システムFLW-6000ENSISeによる溶接作業
会社情報
- 会社名
- 株式会社 クレスコ
- 代表取締役
- 川井 雄之介
- 所在地
- 岡山県岡山市東区上道北方165
- 電話
- 086-279-1214
- 設立
- 1945年(1872年創業)
- 従業員数
- 85名(2026年9月時点)
- 主要事業
- 金属加工・板金加工・DX推進支援・プロダクト開発
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