イージーオペレーションを実現するREGIUS-AJシリーズ
半導体製造装置の搬送治具を製造 ― 強みをさらに強化する
REGIUS-AJ導入で残業が解消 ― 経営は好循環に
三和工業 株式会社
他社に負けない板金加工の設備力
三和工業㈱の創業者、三浦隆次会長は農家の長男として生まれ、高校卒業後に神奈川県内の板金工場に就職、5年あまり勤め、板金加工技術を磨いた。父親が倒れたことでUターンしたが、それまでに培った板金加工技術を生かしたいと軒先に仮工場を建て、プレス、ハンドプレス、ボール盤、スポット溶接機などを導入、1973年に23歳で三和工業を創業した。
事は以前の勤め先から紹介を受け、みずから2トン車を運転して宮城県美里町(旧・南郷町)から神奈川県に納品した。やがて、県内からも仕事を受注するようになった。1981年に仮工場から85坪の新工場に移転、1982年に有限会社として法人化した。
その後は、パンチングマシンや複合マシン、ベンディングロボットなどを相次いで導入、積極的な設備投資を行った。次第に工場が手狭になったため、2005年に石巻工場を建設。それにともない当時、国内でも納入実績が少なかったシングルヘッドパンチプレスHMX-3610NT+AS-48RM+ULS-48RM×2台、ベンディングマシンHDS×5台、生産管理システムAPC21と大型投資を行い、社員数も70名に増え、中堅の板金企業に成長した。
感謝の心と謙虚な姿勢で取り組んだ
佐藤隆一社長は、三浦会長の次女の瞳さんと結婚して、1児の父となった。その後、2006年に美里町に転入し、同社に入社した。佐藤社長の前職は天候に左右される屋外の仕事で、板金加工の経験はなかったが、三浦会長の強いすすめで入社を決心したという。
佐藤社長は「2006年に入社した当初は現場で板金加工の仕事を学びました。2009年に門型5面加工機が導入されたときは、取扱説明書や専門書を読んで独学で操作を覚えなくてはなりませんでした。この経験から、人に技術を教えていただけることに感謝し、謙虚な姿勢で仕事に取り組むようになりました」と語っている。
リーマンショック、東日本大震災を乗り越えて
三浦会長は「板金加工の設備力ではどこにも負けない」という自負を持っていた。同時に、これからは溶接仕上げに機械加工が必須になるとも考えていた。そのため2009年には形鋼を加工して溶接した架台フレームのひずみ取りと仕上げのために門型5面加工機を導入した。
そこにリーマンショックの影響がきた。受注は半分以下に落ち込み大型投資の償却負担が重くのしかかった。社員も半分以上退社。そんな状況の中、佐藤社長は門型5面加工機の操作を覚え、少しずつ作業をこなしていった。その結果、板金加工、溶接組立、5面加工機による仕上げという三浦会長のこだわりが得意先から評価されるようになった。
2011年3月には東日本大震災が発生した。山側に立地していた工場は津波被害から免れたものの、電気・ガス・水道などのインフラが長期間停止、1カ月以上も操業が止まった。きびしい状況だったが、なんとか難局を乗り越え、徐々に以前のような活況を取り戻していった。
会社情報
- 会社名
- 三和工業 株式会社
- 取締役会長
- 三浦 隆次
- 代表取締役社長
- 佐藤 隆一
- 所在地
- 宮城県石巻市北村字大溜池93-3
- 電話
- 0225-86-3286
- 設立
- 1982年(1973創業)
- 従業員数
- 43名
- 主要事業
- 精密板金加工、プレス加工、金型設計・製作、焼付塗装、フレーム架台・治工具加工・製作、機械加工
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