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「第9回 経営者フォーラム」開催

「働き甲斐No.1企業」を目指す全員参加型の企業経営

引き継いだ者の最大の使命は「次につなぐこと」 ― 理念経営を推進

髙橋金属株式会社 代表取締役社長 髙橋康之 氏

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画像:「働き甲斐No.1企業」を目指す全員参加型の企業経営理念①:人をつくり人をまもる働き甲斐No1企業としての成長

職業訓練法人アマダスクールが主催する「第9回 経営者フォーラム」が6月7日、FORUM246(神奈川県伊勢原市)で開催され、髙橋金属㈱(滋賀県長浜市)の代表取締役社長・髙橋康之氏が「働きがいナンバーワン企業を目指し、確かな技術開発力を活かす全員参加型の企業経営」と題して講演を行った。

髙橋金属㈱は髙橋金属グループの中核企業。プレス加工、金型設計・製作、板金加工、パイプ加工、完成品組立、環境機器をはじめとした自社商品の製造・販売を中心に事業を展開し、中国とタイにも製造拠点を持っている。グループの構成企業は9社。モノづくり以外にも、運送、観光、リサイクル、保険・社労士のコンサルタント、小売り、レストランといった事業を展開している。

従業員数は髙橋金属単体で310名、グループ全体で650名。売上高は単体で75億円、グループ全体で110億円。70%が下請け型のモノづくり、20%が環境機器を中心とする自社商品、残り10%がモノづくり以外の事業となっている。

髙橋社長は大学卒業後、㈱アマダに入社し、4年弱の間、販売に携わった。2000年に26歳で髙橋金属に入社し、2010年に36歳で3代目社長に就任。それ以来、「会社は誰のためにあるのか」「会社を引き継いだ者の使命とは何か」と自問しながら理念経営を強力に推し進め、「働き甲斐No.1企業」への挑戦を掲げて、全員参加型の企業経営に取り組んできた。また、「ものづくり事業」の事業ミッションとして「技術立社」を掲げ、コア技術の明確化と高度化に力を注ぎ、顧客に提供する価値の最大化を目指している。

2000年と2019年を比べると、グループ売上高は100億円から110億円と10%増にとどまるが、社員数は300名から650名に、グループ会社は4社から9社に、利益は2~3倍に跳ね上がった。髙橋社長は「利益の源泉は社員のやる気だった」と振り返る。

以下、髙橋社長の講演から「理念経営」に関わる部分を抜粋して紹介する。

引き継いだ者の最大の使命は「次につなぐこと」

画像:「働き甲斐No.1企業」を目指す全員参加型の企業経営髙橋康之氏

私は3代目にあたる。会社を引き継いだ者の最大のミッションは何かと、ずっと考えてきた。唯一の正解はないと思うが、私は「次につなぐこと」だと考えている。

会社を経営するうえで一番難しいのは、つぶれないようにすること。会社は放っておけばつぶれるようにできている。

「企業生存率」というものがある。ある調査によると、個人経営・法人経営合わせ、5年後に残っている企業は100社のうち15社。10年で100社中94社が消えてなくなる。20年後の企業生存率は0.3%、30年後は0.03%。これが実態だ。

その一方、日本は世界的に見ても企業長寿国といわれる。100年企業は2万8,000社、1,000年企業も7社ある。

生き残る会社と、簡単になくなってしまう会社のちがいはどこにあるのか。自分のミッションを「次につなぐこと」だと考える私は、その理由をどうしても知らなければならなかった。

そして行き当たったのが「経営理念」だった。いま日本には、個人経営を含め380万社の企業があるが、大きく2つに分けられる。半分は「経営理念がある」、もう半分は「経営理念がない」。両者を比較すると、経営理念がある企業の方が成長率が高く、寿命が長いことがわかった。

  • 画像:「働き甲斐No.1企業」を目指す全員参加型の企業経営サーボプレスSDEW-3025×2台とSDE-3030をトランスファー装置で連結したタンデムライン
  • 画像:「働き甲斐No.1企業」を目指す全員参加型の企業経営自社製品の電解イオン水洗浄装置

全社員の無記名アンケートで辛辣な意見が噴出

当社は1940年の創業、1958年の設立で、1970年くらいまで祖父(創業者)と父(2代目社長、現会長)がプレス加工を主に手がけてきた。1972年、売上の60%を占めていた主力のお客さまとの取引中止にともない、赤字経営に陥った。そのときに社長が交代し、それ以降は「全天候型の経営」に切り替えた。どれかの業種が不調でも会社が倒れないように、いろいろな業種のお客さまと取引し、1社あたりの売上構成比15%以下という条件を設けた。それから業種・お客さまは増え、部品加工だけでなく完成品を供給するようになり、自社商品を開発し、海外へ展開していった。

会長(2代目社長)は、商工会議所の会頭を務め、褒賞・勲章をいただくなど、町の名士だった。会社は全天候型で安定しており、下請けの加工業者ながら売上100億円を超え、上場を検討したこともある。

しかし物事には光があれば影もある。髙橋金属の実態は「無名の下請け会社」だった。社員に言わせれば「何でも受けるただの何でも屋」であり、「お客さまにただ従えばよし、悪いことは会社の責任」という「他責の心とやらされ感」に満ちていた。
そんな状態でリーマンショックが起き、最悪の設立50周年をむかえた。会長は「私が責任を取るかたちで辞めて、交代しよう」と言ってくれた。親心だったのだと思う。

しかし、当時の私は何をしたら良いか、わからなかった。そこで全社員に対して無記名アンケート調査(モラールサーベイ)を実施した。その結果を会長をはじめとする役員に見てもらって、突破口を見つけたいと考えた。しかし、実際には誰にも見せることはできなかった。

結果を一言集約すると「意欲は前向きだが、会社と人の意識が乖離した不活発集団」ということになる。個々の回答は「チャンスがあれば辞めたい」「恥ずかしくて、子どもに会社の話はできない」などなど極めて辛辣だった。今の社員や先輩がたが努力して築いてきた会社にみずから唾を吐きかけなければならない ― そのことが悔しくてたまらなかった。

それは同時に「これが私の仕事だ」と思えた瞬間だった。会社の利益が出ても、人が不幸ではダメ。人が幸せでも、会社がつぶれては生活していけない。これからどうしていくか、経営者としてはっきり示さなくてはいけないと思った。

画像:「働き甲斐No.1企業」を目指す全員参加型の企業経営理念②:自ら価値を創造するニッチトップ連邦企業としての成長

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プロフィール

髙橋 康之(たかはし・やすゆき)
1974年生まれ。1997年、大学卒業後、㈱アマダに入社。2000年、髙橋金属㈱に入社。2000~2003年、中国法人の立ち上げと自社商品の電解イオン水洗浄機の販売に携わる。2004年、グループ会社の代表に就任。2010年、36歳で髙橋金属㈱の3代目社長に就任。現在44歳。

つづきは本誌2019年8月号でご購読下さい。

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