ランニングコストの削減で機械償却の負担が大幅低減
生産性5倍、切断面品質の向上に大満足
株式会社 杉山
事業発展の道のり
㈱杉山は、現社長の叔父・杉山太市氏が1927年に岐阜県本巣郡美江寺で創業した。1943年には㈲杉山製作所として法人化し、自転車の荷受スタンドの製作・販売などを行うようになった。1947年からは農機具(除草機)の製作なども手がけるようになった。1965年頃からは、バスのシート関連の仕事を受注。200トンの単発プレスマシンなどを導入して、新幹線のシート関連の仕事も増えていった。
大野文雄社長は高校を卒業して同社に入社、すぐに各務原市の新工場へ転勤を命じられ、弱冠20歳で工場立ち上げを任された。当時は設備も仕事もなかったため、精力的に営業活動をしながら設備をそろえ、1973年には取締役工場長に就任した。
大野社長は「当時は各務原工場が主力となっていました。1979年に先代から事業譲渡を受けて代表取締役社長に就任し、社名を杉山工業㈲と改めました。それ以来、大手住宅メーカーの名古屋工場と取引を開始、住宅用鉄骨部品の仕事を手がけるようになりました」と、事業発展の道のりを語る。
JMCで学んだ大野工場長の入社が転機
1985年にパンチングマシンを導入し、その後はレーザマシンや溶接ロボットを導入して、得意先のQ,C,D要求に対応するようになった。事業発展にともない倉庫や工場、事務棟を増築、設備の増設・更新を行っていった。
2006年には㈱杉山に社名変更。住宅部材には高耐食性の溶融亜鉛メッキ鋼板であるZAMが使われており、この頃から住宅部材のビームやフレームのほかに、住宅用耐震装置や支柱アンカーの受注を開始。ZAMの板厚4.5、6.0、9.0㎜の加工が求められるようになったため、2007年にはアマダのレーザマシンFO-2412NT(4kW)を導入した。
FOは4kWの高出力レーザ発振器を搭載していたが、ZAMの加工に対応するには切断速度を遅くしなければならず、酸素切断する関係でガス代などのランニングコストが上昇、切断面品質も低く、課題が多かった。それでも仕事は立て込み、2014年に組立工場を増設した。
これらの課題に対しては、入社14年目の大野雅尚取締役工場長が中心となって取り組んでいる。大野工場長は入社後、職業訓練法人アマダスクールのJMC(経営後継者育成講座)を100期生として受講。経営者としてのセンスを磨きつつ実践的なノウハウを習得し、同期生と友情を育みながら成長していった。
会社情報
- 会社名
- 株式会社 杉山
- 代表取締役
- 大野 文雄
- 住所
- 岐阜県各務原市金属団地112
- 電話
- 058-383-8181
- 設立
- 1943年(1927年創業)
- 従業員数
- 30名
- 主要事業
- 住宅の鉄骨部品、バスのシート部品・工作機械部品の製作
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