「農業機械には未来がある」
60年以上にわたって農業機械関連の板金加工に携わる
株式会社 有働鉄工所
創業以来、農業機械分野を開拓
㈱有働鉄工所は、有働孝弘社長の父親が1955年頃に農業機械メーカーの板金部品を製造する鉄工所として創業した。
有働社長は「父はかつては軍需工場、戦後は道内にあった旧国鉄の車両工場で働き、それから自分の城を持ちたいと考え、生まれ故郷に近い帯広市で町工場を始めました。私は1958年に生まれましたが、住居兼工場で働く父の姿をよく覚えています」。
「その後、現在地に工場を建設。手動機でしたが板金加工設備も少しずつ増えていき、1966年に法人化しました。私は都内の大学に進学し、1980年に卒業して帯広に戻り、家業である有働鉄工所に入社しました。父は私の入社を想定していて、工場を増築しながら、少しずつ事業を大きくしていきました」と振り返る。
小麦乾燥機の仕事を開拓 ― パンチングメタルも展開
創業から黎明期、そして有働社長の入社を契機とした成長期へと同社の事業は発展していく。
有働社長が入社した頃からセットプレスSPH-60、リングフォーマーB-100HHなどを使って鋼材の加工を行い、それらの技術を応用しながら、小麦乾燥機の仕事を手がけるようになっていった。多数の穴加工が必要となる小麦乾燥機では、NCマシンでの加工が重要性を帯びてきた。特にセットプレスなどの汎用機がNC制御のパンチングマシンに置き換わると、生産性が一段と向上した。
こうして道内の農業機械メーカーからの仕事を受注するようになっていった。1987年にはパンチングマシンPEGA-244などを導入して、小麦乾燥機向けをはじめパンチングメタル製品の仕事も増えていった。
パンチングメタルは打抜金網とも呼ばれ、鉄・ステンレス・アルミなどの金属板に丸穴・角穴・長穴などを加工したものだ。光や空気、液体などを穴から通したり、遮断したりすることができる。穴の形状や間隔を調整することができるため、細かなニーズに応えることができ、「アートパンチ」といわれるデザイン性の高い製品にも活用できる。
小麦乾燥機は“ゼロイチ”の市場 ― 3本柱を確立
小麦乾燥機は、小麦の品種改良などで収穫量が増えることがわかると、道内の農協がいっせいに乾燥機を設備するため一気に需要が増える。しかし、需要がない年にはまったく仕事がない“ゼロイチ”(ゼロかイチか)の市場である。
「小麦乾燥機は10年ほど前、『ホクシン小麦』と比べて収穫量が20%増えるという新品種『きたほなみ』が発表された際、道内の農協がいっせいに小麦乾燥機を増設しました。小麦はコンバインで収穫後、手早く乾燥させないと熱損粒や異臭麦が発生します。そのため収穫後2~3時間のうちに小麦乾燥機で乾燥させる必要があります。収穫量が増えれば乾燥機の台数を増やさなければならず、一気に注文が入り、ほぼ1年中、小麦乾燥機だけを製造した時期がありました。しかし、設備が一巡するとしばらくは注文が止まります」(有働社長)。
そのため、2004年にはレーザマシンFO-3015NTを導入し、小麦乾燥機以外の仕事にも対応していった。
「北海道はじゃがいも、大豆、小豆、長芋、小麦、玉ねぎ、ビートの栽培がさかんです。特に朝晩の冷え込みが激しい十勝平野では、適作であるじゃがいも、大豆、小豆、小麦、ビートなどの栽培が大規模に行われています。そのため、古くからトラクターがけん引するコンバインやハーベスター、豆脱穀機などを製造する農業機械メーカーがありました。そうしたメーカーからビートを収穫するビートハーベスター、豆の脱粒機や選別機、さらには粗選機、精選機、風選別機といった各種農業機械に使われる板金部品の仕事を受注すようになりました」。
「一般金属製品、小麦乾燥機、パンチングメタルを含む農業機械部品が当社事業の3本柱です。しかし、小麦乾燥機の仕事は“ゼロイチ”なので、小麦乾燥機を除く2本の柱でも経営が成り立つ企業体質を構築することが最大の課題です」(有働社長)。
会社情報
- 会社名
- 株式会社 有働鉄工所
- 代表取締役
- 有働 孝弘
- 所在地
- 北海道帯広市西22条北1-4-7
- 電話
- 0155-37-2568
- 設立
- 1966年(1955年創業)
- 従業員数
- 20名
- 主要事業
- 一般鉄工、機械加工、鋼材曲加工、コンベア製品、製缶、精密板金、パンチングプレート製作、板金展開、ダクト製作、土木関連製品、ステンレス、アルミニウム加工、乾燥機製作、農業機械部品、レーザ加工
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