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「人、生けるとき精進せよ」

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印象深かった経営者のおひとりが、年齢的にはまだまだ活躍されるお年であったにもかかわらず、旅立たれてしまったことを知りました。

30年ほど前にお目にかかった頃は、京都市内で製造業を主業に活躍しておられました。その一方、自社用システムを開発するために育成したソフト事業を、将来へのさらなる発展を期してITに強い開発責任者に託し、自身は製造業へまい進されていました。ダンディーな二枚目で背丈もあり、“スマートさ”と“粋”を身に着けておられました。

京都・祇園の花見小路のお茶屋街にある食事処に案内された時には、足がすくんだものでした。事業についていろいろ話を聞かせていただきましたが、「できると思ったら、できないことはない。できる、できると思うことが大切だ」と話しておられたことを思い出します。

「人、生けるとき精進せよ」という言葉を耳にします。「精進」という言葉は仏教用語で、「雑念を去り一心に仏道修行すること」または「身を清め行いを慎むこと」という意味になりますが、私たちの認識では「努力する」ということになります。「人、生けるとき精進せよ」は「人は生きている限り、目標に向かって努力しなければいけない」という意味だと理解しています。

「行いを慎む」には「飽食を慎む」という意味があると思います。人の体は、飢餓には強いが過食には弱いと言われています。

言い換えれば、人は逆境や苦境には強く、ハングリー精神は時に考えられないほどの力を発揮します。豊穣なぬるま湯の甘えた環境にいては、良い知恵も浮かびません。以前にも本欄で書きましたが、ゆっくりと進行する危機や環境の変化に気づかない「ゆでガエル」になってしまいます。「このやり方で伸びてきたのだから」と、過去の成功体験にすがり続ける経営トップ。そしてそのトップの失政に気づきつつも保身に走って指摘しない役員。さらには、安易なノルマ達成に満足して問題の本質から目を逸らす現場のリーダーなど、ぬるま湯に浸かりすぎた「ゆでガエル」の典型例もよく見られます。

「人、生けるとき精進せよ」とは、生を一瞬たりともゆるがせにせず、無駄にせず、命を懸けて精進することでもあると思います。一生懸命というのは、一生におのれの命を懸けるという意味です。「できる、できると思うことの大切さ」の意味がわかったような気がします。

一生懸命は「一所懸命」と書かれ、「ひとつのこと」に全力で取り組むことといわれていました。自らが欲しようが、与えられた仕事であろうが、目の前のことにはとにかく全力で「一所懸命」に取り組むことが大切だと思います。

残念ながら、その後この経営者に直接お目にかかる機会は少なくなり、人づてに様子をお聞きしていましたが、「できる、できると思ったらできる」という言葉どおりに生き、65歳で子息に事業承継され、会長としてアドバイザーに徹しておられたようです。

鬼籍に入られた経営者の想いは、2代目の経営者に引き継がれていました。建物や設備は決して最新のものばかりではありませんが、そこで仕事をされている社員のみなさんが、手のぬくもりを残した仕事をされているのに驚きました。しかも、社長と社員、社員同士のコミュニケーションからは、お互いをいたわる気持ちが伝わってきて、風通しの良い雰囲気で満ちていました。みなさんが「できる、できる」という気持ちを持って毎日の仕事に取り組んでおられました。社員のみなさんは挨拶もしっかりされ、自分の仕事にも誇りを持っておられることが、仕事ぶりから察せられました。

創業の精神が脈々と引き継がれていることを知りました。貴方の生きた証は、社風となって、これからも連綿と受け継がれていくことでしょう。一時でも、お会いできた幸せに感謝します。

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