特集

伝統と革新 ― 板金業界の100年企業に学ぶ

400年以上続く金属加工のDNA ― 社員の幸せを求め続けて

試練は呼びかけ・必ず一本の白い道がある・やるだけやって後は托身

株式会社 小林製作所

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画像:400年以上続く金属加工のDNA ― 社員の幸せを求め続けて12段15列の自動倉庫MARS-2512Nと連動した2台のパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512T

400年以上前に能登の鋳物師から始まった

12段15列の自動倉庫MARS-2512Nと連動した2台のパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512T小林靖典社長

㈱小林製作所は初代・小林賰三氏が1919年に創業し、今年で107周年をむかえた。

しかし、小林家の系図をたどると400年以上前の戦国時代から江戸時代の激動の時代までさかのぼることができる。当時の古文書(鋳物師・塩文書、小林猪兵衛家(藤原朝臣家吉)文書目録、能登穴水・中居鋳物館所蔵)などを見ると、能登の鋳物師だった小林猪兵衛(いのへい)という人物が出てくる。ここから現在の㈱小林製作所まで、ものづくりの歴史が綿々と続いている。そうしたことまで考えると、同社は400年以上続いている老舗企業ということになる。

能登(特に現在の鳳珠郡穴水町中居地区など)は、鉄分を豊富に含んだ良質な土壌に恵まれ、古くから鋳物生産がさかんな土地だった。小林猪兵衛はその優れた技術力から、当時の政権から厳格な管理・許認可のもとで武具や神具、神事の際に使う楯や鉾や鐘、五重塔の先に付いている金物類から、生活金物 ― 鍋、釜にいたるまで多様な鋳造品を手がけたと伝えられている。特に塩釜は加賀藩(前田家)が買い取り、沿岸の人々に賃料と引き換えに配って能登の塩ビジネスを推し進めていった。それで農民がたくさん塩をつくり、前田家は塩釜のリース料でもうけたという。そして、その賃料の一部は猪兵衛たちにも支払われた。

能登の鋳物師(中居鋳物師など)は、中世から近世にかけて日本海側の物流ルートを生かし、全国にその製品や技術を行商・流通させていたという。猪兵衛のような熟練の職人たちが残した「火と鉄を操る魂」や技術的系譜は、現代の能登地方に息づく「野鍛冶」や伝統的な金属加工の文化へ脈々と受け継がれてきた。

画像:400年以上続く金属加工のDNA ― 社員の幸せを求め続けて左:2024年3月に本格稼働をスタートした㈱小林製作所の水澄工場/右:同社の歴史を物語る資料が並ぶ。写真左の商簿箱は大正15年当時のもの

小林商店を創業し、ネジ製造を開始

しかし明治に入って幕藩体制が崩壊し、鋳物師の特権が廃止されると、それまで独占的に行っていた鋳造作業は誰でも行えるようになり、金沢や高岡に大量かつ上手に鋳物をつくる集団が現れた。特に高岡の鋳物に押され、猪兵衛以来小林家が続けてきた鋳物事業が立ちゆかなくなってしまった。そこで、小林賰三氏が一念発起して金沢に金物屋を開業。1919年に小林商店を創業し、その後、ネジ製造を開始。当初は織機や軍艦などのボルト、ナットを製造した。後年は大量生産の失敗やオイルショックなどの苦難を乗り越え、徐々に事業を精密板金加工にシフトしていった。

先代で現社長の父・小林康治氏はネジ部門の将来に見切りをつけ、1968年に板金工場、1981年に塗装部門を新設し、板金加工から前処理、塗装、焼き付けの一貫ラインを完成させた。1988年にネジ部門を大幅に縮小、1989年に同部門を廃止し、板金事業に特化するなど大胆な改革を行った。しかし、時代の流れに追従できず、社員も次々と退社、さらには発病と苦労が絶えない状況だった。そんな時に入社したのが小林靖典社長だった。

画像:400年以上続く金属加工のDNA ― 社員の幸せを求め続けて左:ベンディングマシンHG-8025などが並ぶ曲げ工程/右:ファイバーレーザ溶接システムFLW-4000

会社情報

会社名
株式会社 小林製作所
代表取締役
小林 靖典
所在地
石川県白山市水島町429-17
電話
076-277-7330
設立
1947年(1919年創業)
従業員数
200名
主要事業
半導体製造装置部品、産業機械カバー・フレーム・筐体、OA・FAコンピュータ部品・筐体の精密板金加工・組立・塗装・提案型設計/生産管理システム「Sopak」、カメラステム「Sopak-C」などの開発・販売
URL
https://team-kobayashi.com/

つづきは本誌2026年11月号でご購読下さい。

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