伝統と革新 ― 板金業界の100年企業に学ぶ
「へら絞り×精密板金」の融合で独自進化 ― 自律分散型のフラットな組織へ改革
アイデンティティを守りながら時代の変化に対応する100年企業
西垣金属工業 株式会社
左:2024年に導入した自動金型交換装置付きベンディングマシンEGB-1303ATCeによる曲げ加工/右:同社のアイデンティティであるへら絞り。高度な技能を持つ職人が、へら棒を押し当てながら成形する
「へら絞り×精密板金」の融合で独自進化
「社員の成長を感じられたときが一番うれしい」と語る西垣潤社長
西垣金属工業㈱は2024年に創業100年をむかえ、「老舗出現率」で全国1位をほこる京都の地で、老舗企業の仲間入りを果たした。
同社は創業以来、金属板を回転させながらへら棒を押し当てて成形する「へら絞り」(スピニング加工)を中核としながら、プレス加工や精密板金加工、デジタル技術を融合させることで独自の進化を遂げてきた。現在は「へら絞り」と「精密板金加工」の複合加工を強みとし、食品機械や分析装置・理化学機器をはじめとする幅広い産業分野で安定した受注基盤を確立している。
一般的に「へら絞り」は専用の治工具と職人の高度な手技を必要とするアナログな加工手法であるのに対し、「精密板金加工」はCAD/CAMやNC加工機、自動化技術など自動化・デジタル化が進んだ工程といえる。同社では、「へら絞り」によって絞り形状や円錐形状を成形し、その追加工や外周部・接合部で「精密板金加工」や溶接技術を駆使することで、他社では製作が困難な形状をワンストップで実現。食品機械をはじめとする小ロットかつ大型の立体成形品を多く用いる産業分野で、独特の存在感を示している。
4代目経営者の西垣潤社長は、100年の歩みを振り返り、次のように語っている。
「100年にわたり事業を続けてくることができたのは、周囲のみなさまの支えがあってこそ。深く感謝しています。事業の面では、妥協を許さない『こだわる部分』と、環境の変化に柔軟に対応する『こだわらない部分』の両極を意識して切り分けておくことが大切だと感じています。当社にとってはへら絞りが『こだわる部分』、それ以外は『こだわらない部分』です。へら絞りは当社のアイデンティティですが、へら絞りにだけこだわっていたら、とっくに立ち行かなくなっていたでしょう。世の中のニーズを敏感にキャッチして対応する営みを絶えず続けてきたからこそ、今の当社があるのだと思います」(西垣社長)。
スピニングマシンによるへら絞り加工
へら絞りと精密板金の複合加工で製作した食品機械カバー(SUS304・片研・板厚1.0㎜)
時代に応じた工法展開と事業の変遷
同社の事業の変遷を見ると、祖業である「へら絞り」を強みとしながら、時代に即した改革に挑戦し続けてきたことがうかがえる。
1924年(大正13年)、初代が京都市東山区で創業し、銅板を用いた「板金ヘラ絞り出し作業」による試作と深絞り加工を手がけ始めた。創業当初は鍋や文房具、やかんといった日用品を中心に製作した。その高度な成形技術は高く評価され、戦時中は軍需省指定工場として航空関連部品の製造に貢献した。
2代目・西垣博氏の代になると、戦後復興と高度経済成長の大量生産需要に対応するため、プレス加工機を全面的に導入した。従来のへら絞りに加え、プレス成形・深絞り加工の生産能力を増強することで、自動車部品や電気機器向け部品の量産体制を整備した。1964年には現在地の久世工業団地へ工場を移し、総合金属加工企業として事業拡大をはかった。
1989年に西垣亮氏が36歳で3代目経営者に就任してからは、量産品の海外移転と国内製造業の再編を見越し、プレス加工から精密板金加工へと大きく舵を切った。タレットパンチプレスを皮切りに、3次元CADやレーザマシン、ベンディングマシン、レーザ溶接機など、当時は普及途上だった最新設備を順次導入。就任当初は70%にのぼった外注比率を内製化率70%へと逆転させるとともに、顧客を「1業種1社」と定めて地域内での摩擦を避け、人材確保・社員教育にも力を注いだ。
左:精密板金加工の工程/右:ブランク工程の主力マシンであるファイバーレーザ複合マシンEML-2515AJ-PDC
会社情報
- 会社名
- 西垣金属工業 株式会社
- 代表取締役社長
- 西垣 潤
- 所在地
- 京都府京都市南区久世築山町377-6
- 電話
- 075-921-6508
- 設立
- 1948年(1924年創業)
- 従業員数
- 30名
- 主要製品
- 医療機器・歯科用機器・分析関連機器・船舶用機器・半導体装置関連機器・食品関連機器・インテリア関連機器など
つづきは本誌2026年11月号でご購読下さい。
- 当サイトで購入
- Amazonで購入
- Fujisanで購入


