憧れていた「溶接」への挑戦 ― 年齢・性別・子育ての壁から一歩を踏み出す勇気を
事業承継を前に、5年後の売上10億円達成・工場拡張を目指す
株式会社 スズヒロ製作 鈑金事業部 製造課 溶接グループ 内山 麻由 さん
鈑金事業部 製造課 溶接グループの内山麻由さん
きっかけは「溶接」への憧れ
前田純子社長
「溶接に対してはずっと、かっこいい、やってみたいという憧れがありました。しかし、30代後半という年齢や女性であること、子どもが小さかったこともあり、なかなか一歩を踏み出すことができませんでした」 ― そう語るのは、「第33回優秀板金製品技能フェア」で「造形品の部」グランプリを獲得した「メタルダイオウグソクムシ」の作者・㈱スズヒロ製作 鈑金事業部製造課溶接グループの内山麻由さんだ。
自宅の表札を依頼する関係で女性の溶接工と出会った内山さんはますます溶接への憧れを深めていく。そんなときに偶然、同社の溶接工募集の求人を見つけ、これはチャンスかもしれないとすぐに問い合わせの電話をかけた。
そのとき電話を受けたのは前田純子社長(当時は専務)だった。前田社長は2003年に入社してから2019年に社長に就任するまで、生産管理、CAD/CAM、機械加工、曲げ、塗装、検査、梱包・出荷と一通りの工程で作業を習得していたが、溶接だけは「女がやるもんじゃない」とやらせてもらえなかった苦い経験を持つ。内山さんの話を聞いた前田社長はその熱意に共感、すぐに面接と工場見学を行った。見学を経て「絶対にここで溶接をやりたい」という思いを新たにした内山さんは2017年10月に入社。以来7年以上、溶接の技術・技能の研鑽を重ね、スキルの向上に努めている。
現在の従業員数は46名で、そのうち女性は受注管理2名、設計3名、溶接1名、総務・事務4名の計10名となっている。中には勤続20年以上のベテランもいるなど女性社員の定着率は高く、受注管理課と総務課には女性課長もいるなど、働きやすいような職場環境が整備されている。
ステンレス製の筐体を溶接する内山さん
「第33回優秀板金製品技能フェア」で「造形品の部」のグランプリを受賞した「メタルダイオウグソクムシ」は、内山さんが製作した
制御盤・操作盤の筐体などの製作がメイン
スズヒロ製作は1959年、前田社長の祖父・鈴木研二氏がオートバイのタンクなどを製造する「名残サンソ」として創業した。1966年に電気工事会社で勤務していた父・鈴木浩氏(現会長)が入社すると、中古のシャーリング・曲げ加工機、溶接機を導入し、現在も同社の主要製品である制御盤・操作盤の筐体などの製作を開始した。1977年には鈴木浩氏が2代目社長に就任。1988年に法人改組し社名を「㈲スズヒロ製作」に変更した。
1989年に浜松市内に本社工場を建設移転、翌1990年には塗装工場を増設と順調に事業を拡大していた最中の2002年、得意先が倒産して手形が不渡りになり3,000万円の負債を負った。さらに工場長を含めた社員が他社に引き抜かれ、残った5名だけで受注から加工、塗装、出荷までのすべての工程を行わなければならなくなった。
前田社長が入社したのはその直後の2003年。ものづくりのことはまったくわからない素人だったが、会社のことを少しでも理解したいと毎日必死に勉強したという。2004年に中古のタレットパンチプレスを導入すると、それを聞きつけた得意先などからの仕事が増加、従業員数も徐々に増えていった。工場が手狭になったため2014年には浜松市内に第2工場を建設した。しかしそれでも間に合わず、2017年には株式会社に改組するとともに、3つの工場を統合した新本社工場を現在地に建設。工場が一カ所にまとまったことで横持ち作業がなくなり、作業効率も向上した。
2019年9月には鈴木浩氏が代表取締役会長に、前田氏が3代目代表取締役社長に就任した。
週に1回、社員全員で共有スペースの清掃を行っているという工場は5Sが行き届いている
塗装工程は溶剤塗料と粉体塗料に対応(写真は塗装ブース)
会社情報
- 会社名
- 株式会社 スズヒロ製作
- 代表取締役社長
- 前田 純子
- 所在地
- 静岡県浜松市浜名区都田町9576
- 電話
- 053-428-8181
- 設立
- 1988年(1959年創業)
- 従業員数
- 46名
- 主要製品
- 配電盤、制御盤、機械カバー、架台、安全柵、産業用機械カバー、一般塗装
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