生産・工程管理の見直しで課題を解決 ― 残業時間削減、納期遅延ゼロへ
「早く」「高品質」「正確な納期」を強みに他社との差別化に挑む
大永工業 株式会社 生産管理課長 プログラムリーダー 六本木 泰絵 さん
六本木泰絵さん
どんな製品にも全社一丸で挑戦し、即対応
左から島田正樹製造部長、六本木課長、桜井幸雄専務、西定男社長
大永工業㈱の企業理念は、「『即対応』をモットーに『出来ない』を言わず『なんとかする』を、全社一丸となって取り組みます」。得意先からの難しい要望、幅広いニーズに対応することで高い信頼を得てきた。それを可能にしたのはあきらめずに挑戦する精神力と対応力、培ってきた技術力だ。
同社は1958年、創業者・伊藤俊雄氏がプレス加工を主体とした製造業として創業。1972年には現在の「大永工業㈱」に社名を変更し、1984年に精密板金部門を開設した。1990年に創業者が急逝すると、夫人の伊藤歌子氏が業務を引き継ぐことになった。しかしバブル崩壊後の景気後退によりきびしい状況が続くと、歌子氏はより製造業に精通した人物に事業を託した方が良いと考えるようになった。そして白羽の矢が立ったのが当時専務をしていた村田和夫氏だった。
村田氏は1999年に社長に就任すると、デジタル化・自動化による合理化を推進、営業活動も積極的に行った。2002年には現在地に本社・工場を移転、企業体質を強靭なものにした。2011年にはテクノ工場にブランク工程を移し、対応力を強化した。
2018年には製造部長と工場長を歴任した西定男氏が4代目社長に就任。デジタル化・自動化を継続させながら、自動で金型交換ができるパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512TやベンディングマシンHG-1003ATC、ロボット溶接が可能なファイバーレーザ溶接システムFLW-3000ENSISなどの最新設備を導入することで多様な人材が働きやすい環境を整備していった。
西社長自身を筆頭に優れた能力を持った人材が評価される体制を培かってきたのも同社の特徴だ。今回話をうかがった生産管理課長兼プログラムリーダーの六本木泰絵さんもそんな人材の一人である。
2022年に導入したパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512T
自動金型交換装置付きベンディングマシンHG-1003ATC(左)とHDS-8025NT(右)などが並ぶ曲げ工程
2011年にプログラム担当として入社
六本木課長はもともと私立中学校に通っていたが、将来について考えたときに「これからの人生、手に職をつけた方がいい」と決心し外部受験、工業高校電子機械科に入学したという異色の経歴を持つ。社会人になってからは建築模型の製作会社を経て、機械加工会社に入社。プログラムの作成から段取り、加工、仕上げまでの全工程を担当した。結婚後は出産・育児のために退社し、女性社員が多く融通が利きやすい保険会社で働いた。
転機となったのは2008年頃、共通の友人との食事会で偶然出会った桜井専務と意気投合し、プログラム担当者としてスカウトされたことだ。当時の同社はプログラムに欠員が出ている状態で、加工の種類は異なるものの、プログラムから加工までの経験を持つ六本木課長はまさに同社の求める人材だった。しかし、当時は子どもが小学生だったこともあり、「時間拘束のあるフルタイムの仕事は難しい」と辞退。そして子どもが中学校に進学したタイミングで再度誘いを受け、2011年に同社へ入社した。
入社後はプログラムを担当したが、最初は機械加工とのちがいに戸惑うことも多かったという。
「CAD/CAMをやったことがあると言っても、板金加工と機械加工では異なる点も多く、はじめは戸惑いました。これまでは削って形にするものを取り扱っていたので、曲げ加工したときに材料が伸び、寸法が変わるということが最初はわかりませんでした。プログラムは2次元CAD/CAM AP100を活用。非常に良いソフトで、島田正樹製造部長に教えてもらってすぐに使えるようになりました」(六本木課長)。
vLot Naviの画面を見ながら作業者と相談を行う六本木課長
ファイバーレーザ溶接システムFLW-3000ENSISの操作方法を若手社員にOJTで教えている
会社情報
- 会社名
- 大永工業 株式会社
- 代表取締役社長
- 西 定男
- 所在地
- 長野県埴科郡坂城町南条6390-1
- 電話
- 0268-82-3230
- 設立
- 1969年(1958年創業)
- 従業員数
- 39名
- 主要事業
- 情報機器・無線通信機器関連のシャーシや部品加工、医療機器関連の筺体、LEDやLCD(液晶ディスプレイ)の筐体、測定機器などの精密板金加工、プレス加工、組立など
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