特集

小規模板金工場のものづくりを支援するデジタル技術

兄弟二人三脚で培った丁寧なものづくり ― 加工範囲拡大と新規開拓に挑む

BREVIS-AJの立ち上げに「IoTサポート」を活用

有限会社 丸芳製作所

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画像:兄弟二人三脚で培った丁寧なものづくり ― 加工範囲拡大と新規開拓に挑む①第2工場に導入された同社初のレーザマシンである、ファイバーレーザマシンBREVIS-1212AJ/②「IoTサポート」の画面。チャットで手軽に質問ができるため、作業効率や加工品質の向上にも役立つ

当初はオーディオ関連や工作機械カバー類に対応

画像:兄弟二人三脚で培った丁寧なものづくり ― 加工範囲拡大と新規開拓に挑む関根伸二専務(左)、関根芳之社長(右)

㈲丸芳製作所は1968年、関根芳之社長関根伸二専務の父・関根芳以氏が東京都大田区北糀谷で個人創業した。関根氏は福島県出身で、上京後は都内の工場を経て、同郷の親戚が営んでいた横浜市内の板金工場で働くようになった。当時は手板金の時代で、ケトバシやプレス、タガネ、ハンマー、はさみなどの道具を駆使して加工し、腕を磨き、独立した。北糀谷は当時から町工場が密集していて、貸工場ではさまざまな職種の一人親方がものづくりを行っており、そのネットワークで仕事は途切れることなく続いた。知り合いの入社で労働力も強化され、事業も軌道に乗っていった。

1971年、横浜市港北区(現在地)に50坪弱の土地を購入し1階を工場、2階を住まいとする新工場を建設、1972年には法人化した。また、一帯の土壌が軟弱だったため、地下深くまで何十本というパイルを打ち込み堅固に造成して工場を建設した。

当時の仕事はオーディオ関連機器や下丸子の工作機械メーカーのカバー類が多かった。バブルまでは6~7台のケトバシ、ユニットパンチプレス、ベンディングマシンを数名で操作して対応、汎用機主体の板金加工を行った。

専務の入社とPEGAの導入が転機に

バブル崩壊の直後、子息の関根伸二専務が勤めていた会社を辞めて同社に入社、仕事を手伝うようになった。

現在、売上の70%ちかくを占める交通信号システムメーカーの関連企業との取引も、この頃にはじまった。交通信号装置、鉄道信号機器、電力変換装置などの製造を行うメーカーから装置向けの筐体製作の仕事を受注するようになった。電力変換装置向けの筐体は非磁性体で加工する必要があるため、鉄以外のステンレスやアルミ、真鍮、銅といった材料が主体で、板厚は0.5~4.0㎜。汎用機ではスピードが遅いうえ、精度も出ない。そこで、1993年に中古のパンチングマシンPEGA-344を導入した。

兄弟二人三脚で事業承継

まさに「これから」という1994年、創業社長の関根芳以氏が急逝した。

残された関根専務は「入社した時期がバブル崩壊直後で1年間は仕事も十分できませんでした。そこにPEGA-344が導入され、プログラム作成から機械操作までをすべて一人でこなしましたが、亡くした父親の存在は大きかった。会社をたたむことも考えましたが、お客さまや父親の仲間の工場経営者から励ましをいただき、事業継続を決めました。しかし、自分一人では荷が重すぎるため、会社勤めをしていた兄に相談しました」と当時を振り返る。

関根芳之社長は「当時はサラリーマンだったのですぐに辞められるか心配でしたが、『父亡き後の事業を引き継ぐなら仕方ない』と理解を得て円満退社。1995年に当社に入社しました。文系出身でノギスやスコヤの当て方、使い方も知りませんでした。学生時代にケトバシを踏んだ経験はありましたが、やっていけるのか、不安もありました。仕事はあったので入社に合わせて中古のベンディングマシンRG-35Sを導入、深夜まで仕事をしました。それなりの利益も出て自信がつき、私が社長、弟が専務と、二人三脚で事業を継続することができました。今は私の妻と2名の従業員を加え、5名で稼働しています」と語っている。

  • 画像:兄弟二人三脚で培った丁寧なものづくり ― 加工範囲拡大と新規開拓に挑むパンチングマシンEM-255NT
  • 画像:兄弟二人三脚で培った丁寧なものづくり ― 加工範囲拡大と新規開拓に挑むベンディングマシンHDS-5020NT(左)、RG-35S(右)が並ぶ曲げ工程

シリコンサイクルで仕事の平準化に腐心

交通信号システムの得意先は、半導体・FPD製造装置に要求される高スループットに対応するため、駆動部レスを実現する高速マッチングを実現し、微細加工技術が要求される製造装置に高いハンドリング機能を提供する電力変換システムを製造するようになった。同社にもその筐体と板金部品が発注されるようになった。次第に工場が手狭に感じられるようになり、1998年に工場の向かいに50坪弱の第2工場を建て、総床面積は約2倍になった。

「半導体市場にはシリコンサイクルと呼ばれる需要の山谷があります。繁忙期は忙しく、平準化が大変です。そうなると中古のPEGA-344では対応が難しい。経年劣化も目立ったので2004年に思いきってパンチングマシンEM-255NTに入れ替えました。マシン本体に加えて成形用などの金型も準備。それによって加工スピードのアップはもとより成形加工をワンクランプでこなせるようになり、加工領域も拡大できました。また、下降端調整(ラム)が可能なため、あらゆる材質の成形加工が可能です。この決断が遅れていれば今の当社はなかったかもしれません。それくらいインパクトのある投資でした」(関根社長、関根専務)。

ブランク工程の加工速度があがったことで、後工程の曲げが間に合わなくなったことから、負荷軽減のため、2007年にベンディングマシンHDS-5020NTを導入した。

「ほかのメーカーの下降式のベンディングマシンも検討しましたが、駆動機構や制御方式が優れていたHDS-5020NTを導入しました。工場スペースにも収まり、抜き~曲げがスムーズに流れるようになりました。EMとHDSはネットワーク対応型マシンで、立体運用を行うことにより曲げ不良もなくなりました」(関根専務)。

  • 画像:兄弟二人三脚で培った丁寧なものづくり ― 加工範囲拡大と新規開拓に挑むBREVIS-AJで加工したノイズフィルターケース(C2801・板厚0.8㎜)
  • 画像:兄弟二人三脚で培った丁寧なものづくり ― 加工範囲拡大と新規開拓に挑むカバー(SPCC・板厚1.0㎜)

会社情報

会社名
有限会社 丸芳製作所
代表取締役
関根 芳之
所在地
神奈川県横浜市港北区綱島東5-4-26
電話
045-542-1131
設立
1972年(1968年創業)
従業員数
5名
主要製品
各種医療機器用筐体および部品、制御盤用筐体、通信機器、電気製品用板金部品、ノイズフィルター用筐体・板金部品、半導体・FPD製造装置用筐体および板金部品
URL
https://maruyoshi-seisakusyo.com/

つづきは本誌2024年7月号でご購読下さい。

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