特集2

粘り腰で力強い青森県の板金加工企業

若手社員と高度外国人材の力で未来を拓く

創業以来、右肩上がりで発展 ― 2024年に機械加工専門工場を分社・独立

株式会社 ヨコサワ

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画像:若手社員と高度外国人材の力で未来を拓く本社工場から第2工場に移設された3台のレーザマシン(うち1台はファイバーレーザマシン)。3交代制で夜間も操業する

創業までの苦難の道

画像:若手社員と高度外国人材の力で未来を拓く横澤賢司社長

㈱ヨコサワ横澤賢司社長は1954年に青森県三戸町内の農家の長男として生まれた。地元の中学を卒業すると造林業を手伝いながら、雪が降る冬場は東京に出稼ぎにいき、建設現場や飲食街、パチンコ店などでさまざまな仕事を経験した。23~24歳の頃に地元のプレス・板金工場で溶接工を募集していることを知り応募、採用された。ところが指導してくれる先輩も上司もいなかったため、仕事を発注してきた板金工場に頼み込んで3カ月ほど溶接の研修を受けた。それとともに切断・抜き・曲げの仕事も見よう見まねで学んだ。

工場に戻るとシャーリングによる切断から、曲げ加工、溶接までの仕事を一人でこなした。25歳になった1979年には第2次オイルショックで会社は休業。ほとんどの社員が解雇される中、横澤社長だけは「事業を再開するときに力を貸してほしい」と慰留された。溶接の仕事はなく、しばらくはプリント基板の印刷や製材所の仕事を手伝うなどしていたが、事業再開が難しいことがわかり、実家の農業に従事した。

それから2年が経過し、以前溶接の研修でお世話になった板金工場に「何か自分ができそうな仕事はないか」と相談したところ、すぐに来社するように言われ、そのことがきっかけで農業機械部品の溶接の仕事を紹介された。1984年に納屋の片隅を改装し、一人親方の「横澤溶接工業所」を創業した。設備は溶接機1台のみだったため、得意先の板金工場で加工した板金部品を供給してもらい、溶接の仕事だけを4年ほど続けた。すると丁寧な仕事ぶりが評価されて、次第に仕事が増えていった。

  • 画像:若手社員と高度外国人材の力で未来を拓くフィリピンのエンジニア4名と画面を共有し、プログラム作業の様子をリアルタイムで確認できる
  • 画像:若手社員と高度外国人材の力で未来を拓く曲げ加工エリアには自動金型交換装置を備えたHG-1003ATCも導入されている

事業の発展と工場移転

仕事が増え、夫人の手を借りるようになってからは1人、2人と社員の数も増えていった。1年半後には得意先から近い借地に仮設の工場を建てて移転し、毎日午前2時頃まで仕事に没頭した。ここで3年ほど仕事をしたのちに、現在の十和田市に本社工場を移転した。

「この場所には以前、割り箸をつくる製材工場と、木屑を使ってキノコを栽培するキノコ栽培工場として私が借りた工場など何棟かの建物がありました。そのうち製材工場、キノコ栽培工場はともに倒産・廃業してしまい、本社工場を含めた3,000坪の土地建物すべてを当社で買い取りました。現在では第2工場のある一帯を含めた周辺の山林など2万4,000坪が当社の敷地となっています」(横澤社長)。

  • 画像:若手社員と高度外国人材の力で未来を拓く溶接加工エリア
  • 画像:若手社員と高度外国人材の力で未来を拓く溶接が完了し、出荷を待つ半導体製造装置に使われる製品

会社情報

会社名
株式会社 ヨコサワ
代表取締役
横澤 賢司
所在地
青森県十和田市藤島字東山10-22
電話
0176-28-3267
設立
1990年(1984年創業)
従業員数
45名
主要事業
医療機器、半導体製造装置、輸送機器、建築土木資材の板金加工・パイプ切断・抜き、レーザ加工、TIG溶接(アルゴン溶接)、ロボット溶接
URL
https://www.laser-yokosawa.co.jp/

つづきは本誌2023年12月号でご購読下さい。

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