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「稽古とは、一より習い十を知り 十よりかえる元のその一」

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千利休の残した言葉に「稽古とは、一より習い十を知り十よりかえる元のその一」というものがあります。ホテルのラウンジの一角に立礼のお茶席があり、そこで一服いただくときにお茶の先生に教えていただきました。以来、そこにうかがうたびに、手順を一つひとつ確認しながら、お点前をいただいたことが忘れられません

そのときにご一緒した経営者の方は常々、「利休はお茶の席は一期一会と言っています。ともに過ごす客人のために亭主は誠心誠意を尽くし、お茶を点てます。客人はその瞬間を楽しみ、一服のお茶を大切に味わった。互いを思いやる気持ちが大切ということを教えていると思います」と語っておられました。

「亭主」と「客」という立場を超えて、人間対人間の出会いの瞬間が茶席だったのかもしれません。お茶をいただく機会は少なくなりましたが、一服をいただくときにはその言葉や出来事を思い出します。

私たちが仕事でお目にかかるお客さまとの日々の出会いも、ある意味では一期一会です。そのため、お客さまの話を聞き逃したり、お客さまが伝えたいと思われていることに水を差したりすることはできません。時には取材とは直接関係のないことや、いろいろな例をお話しして、話しやすい雰囲気をつくることも大切です。

相手にとっても、自分にとっても「良い出会いだった」と思えるような取材ができるようにするためには事前の学びが欠かせません。どんな仕事であれ、「名人」と呼ばれる人たちは日々の鍛錬を怠らないといいます。鍛錬を繰り返すことで身に付いた知識や技術によって、やがては意識しなくても道具を巧みに扱えるようになるものです。そして、何かが身に付くたびに、新たな学びを発見できます。

学びや鍛錬には、「これで良い」という終わりはないといわれています。鍛錬を重ねれば重ねるほど、学べば学ぶほど、奥の深さを知り、自分の無知や未熟さを思い知らされます。

お客さまから社員教育の難しさを聞かされ、「何か良い方法はないものか」と問われることもあります。そんなときに、こんな話をさせていただいたことがあります。

「社員のみなさんが、新人のために一から手ほどきして根気強く繰り返し指導してくれる。同じことを何回も聞いて良いのか、と心配しながらも聞くと、仕事の手を止め丁寧に教えてくれる。仕事を覚える前に先輩の指導力や人間性に安心感を覚え、『この人についていこう』という意思が芽生えてくる。何回もチャレンジしながら仕事の流れややり方を習得し、小さな部品一つでも会社の威信にかけて誠心誠意つくり上げる姿や、『次工程はお客さま』との意識で次の工程がつくりやすいように心を配る姿に触れる。教え、教わることで互いを思いやり、先輩と後輩、社長と従業員という枠を超えて協力して製品をつくり上げていく。人間対人間の出会いに感謝できるようになればうまくいくのではないですか」。

ある会社でそんなお話をしたとき「先輩社員が優秀板金製品技能フェアに出展する作品を製作する社員を指導しているときに、そんな様子を目にしました」といわれていました。その雰囲気を日々の仕事にも取り込めれば良いのですが、それはなかなか難しいようでした。

茶の湯はもともと、この世は変化してやまない無常の世界であることを示す「わび」「さび」の美意識を象徴するものともいわれてきました。茶筅で点てられた泡の一つひとつを小宇宙に、茶碗を大宇宙に見立て、お茶をいただくことは宇宙を飲み干すこととたとえる方もおられます。

利休の言葉を紹介することは、ガラパゴス化した日本の古いものづくりの美意識を礼賛していると指摘を受けるかもしれません。しかし、「稽古とは、一より習い十を知り十よりかえる元のその一」は、現代にも通じる深い趣を持っている気がしています。

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