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「溶接技術」をコアコンピタンスに、地域密着で事業拡大

家族社員のスクラムで事業承継も万全

プラズマテック 株式会社

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画像:「溶接技術」をコアコンピタンスに、地域密着で事業拡大左:TIG溶接でフレームを接合する/右:溶接が完了した製品

TIG溶接との出会い

画像:「溶接技術」をコアコンピタンスに、地域密着で事業拡大左から金原利明専務と金原満憲社長

プラズマテック㈱は、金原満憲社長金原利明専務の父親が1968年に大阪市港区でスポット溶接を主とする金原工作所として創業した。3歳ちがいの兄弟は学校卒業後、仕事に従事。1977年に兵庫県伊丹市内に工場を移転した。ところが翌年に父親が急逝。残された兄弟は事業継続か廃業かで悩んだが「得意先に迷惑はかけられない」と継続を選択した。

当時、工場隣にあった住宅関連機器メーカーの工場はステンレス溶接に優れていて、隣同士という気安さから製造部の技術者がたびたび同社を訪れるようになった。そして「見た目が美しく、アーク溶接や半自動溶接ではできない細かい部分の溶接 ― 特にステンレスやアルミの溶接に適しているアルゴン(TIG)溶接を身につけたほうが良い」と勧められ、終業後に隣の工場の担当者からTIG溶接を教えてもらうようになった。

最初の1~2年は仮付けだけを行っていたが、その後は本付けを手がけるようになり、やがて味噌汁用自動販売機などに組み込まれる温水タンク、給水タンクの仕事が同社に発注されるようになった。ステンレスの板厚0.8、1.0、1.2㎜のタンクをエルボなども組み込んで溶接。技術指導だけでなく発注までしてもらい、その担当者に大きな尊敬と恩義を感じた。

  • 画像:「溶接技術」をコアコンピタンスに、地域密着で事業拡大3次元CAD SolidWorksでモデリング作業を行う金原社長の子息、金原賢治さん
  • 画像:「溶接技術」をコアコンピタンスに、地域密着で事業拡大2020年に導入したファイバーレーザ複合マシンLC-2512C1AJ

レーザマシン導入と阪神淡路大震災

2人は次第に腕を上げ、伊丹市周辺の企業にTIG溶接の仕事の営業をするようになった。しかし、どこへ行っても「つなげるだけの仕事はない」と断られるというきびしい現実に直面した。そこで新たにアマダの35トンのNC付きベンディングマシン、セットプレス、シャーリングマシンなど、抜きから溶接までのひととおりの設備を導入した。1985年にはプラズマテック㈱として法人化、社員も4名になった。

「その頃、ガスバーナーメーカーから消音ボックスの仕事を受注しました。直径600㎜の穴あけ加工は、セットプレスの加工範囲だと半分を抜いてから材料を反転し、残った半分を抜く、というように手間がかかりました。ロットもあったので3´×6´材をシャーリングで800㎜程度のスケッチ材に切断し、セットプレスで抜くと、加工完了までに4〜5日もかかります。そこで新しくレーザマシンの導入を計画しました」(金原社長)。

そして1994年、同社にとって初のレーザマシンLC-2512δを導入した。

「片持ち方式のフロントオープンで作業性が良いことと、パイプインデックスを装備すると大径の丸パイプなどの形鋼加工もできることが魅力でした。12月に設置し、いざ本格稼働という1995年1月17日の早朝、阪神・淡路大震災が発生しました」。

「工場片側の壁の一部が倒壊し、レーザマシンもそのほかの機械設備も移動していました。発振器の光学系も調整が必要で、再稼働までに4~5カ月、工場復旧までに半年ほどかかりました。倒壊した壁をビニールシートで覆って、移動してしまった設備を元の場所に据え付け直し、稼働可能な設備で仕事を再開しました」(金原社長)。

画像:「溶接技術」をコアコンピタンスに、地域密着で事業拡大左:2020年に導入したベンディングマシンHG-1703/右:ハンディファイバーレーザ溶接機FLW-600MTによる溶接作業

会社情報

会社名
プラズマテック 株式会社
代表取締役
金原 満憲
所在地
兵庫県尼崎市東初島町2-39
電話
06-6481-8600
設立
1985年(1968年創業)
従業員数
11名
主要製品
住宅用設備機器、ガスバーナー、熱交換機などの板金溶接部品

つづきは本誌2021年6月号でご購読下さい。

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