板金論壇

「堪忍の緒を切らぬよう克己せよ」

『Sheetmetal ましん&そふと』編集主幹 石川 紀夫

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「自分の欲望や邪念をおさえて相手の身になって行動する」

私が毎月楽しみにしている善光寺大本願の5月の「今月のことば」は、「堪忍の緒を切らぬよう克己(こっき)せよ」でした。

「堪忍の緒を切らぬよう」は言葉を換えれば「堪忍袋の緒を切らないために」という意味です。「堪忍袋の緒が切れる」とは、もともとは我慢の許容量を超え、これ以上は我慢できないとして怒りが爆発することを表現することわざです。また、「克己」とは、自分の中にある欲望や邪念に打ち勝つという意味です。

この2つの意味を重ねれば、「なにごとも自分の勝手や都合で人様に何かを強要したり、お願いしたりすることばかりではいけない。相手の都合や、できること、できないことがあるのだから、自分の欲望や邪念をおさえて相手の身になって行動する」というような意味になります。

この言葉を善光寺大本願のWebサイトで見た時には、なるほどとうなずくばかりでした。

「自分は大丈夫」という独りよがり

5月の連休中、新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)感染予防の観点から、政府は不要不急の外出を控え、ステイホームを、と毎日呼びかけていました。しかし、「緊急事態宣言」が発令された4都府県の連休中の人出は、例年よりは減少したものの、昨年の1回目の「緊急事態宣言」が発令されたときと比較すると2倍以上になった、という報道がありました。

都心の繁華街や行楽地でのインタビューでは、「自粛疲れ」「マスクをしているから感染しないし、させることもない」などの決まり文句。おまけに「こんなに人が多いとは思わなかった」などと自分勝手なコメントも聞かれました。

どうして我慢できないのか、「感染リスクはどこにでもある」「非接触、リモート、3密回避が大切」という基本がなぜ理解できないのか、不思議です。メディアも、同じコメントを繰り返すばかりでなく、注目を引く、インパクトのあるフレーズで報道できないものでしょうか。マンネリな言葉はBGMと似たようなものです。

つづきは本誌2021年6月号でご購読下さい。

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