Interview

エネルギーから情報まで幅広い対応が可能なレーザ技術

手の平サイズの小型・高出力レーザを開発

大学共同利用機関法人 分子科学研究所 社会連携研究部門 特任教授/理化学研究所 放射光科学研究センター レーザー駆動電子加速技術開発グループ グループ・ディレクター 平等 拓範 氏

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画像:エネルギーから情報まで幅広い対応が可能なレーザ技術平等拓範氏

レーザ技術開発の最前線で、国内外から注目を集めているのが「小型集積レーザ」(TILA:Tiny Integrated Laser)。手の平に載る小型のレーザ装置で「マイクロチップレーザ」とも呼ばれている。

低価格で小型化を実現し、モバイル・ユビキタスにも対応。メンテナンスフリーで、しかも信頼性が高く、安定して活用できることから産業・医療分野での実用化が期待されている。2019年4月には大学共同利用機関法人・分子科学研究所と民間企業で、研究成果の社会実験を行うための「TILAコンソーシアム」が発足した。

そこでTILAの研究・開発を手がけてきた分子科学研究所(以下、分子研)社会連携研究部門の平等拓範特任教授(理化学研究所 放射光科学研究センター先端光源開発研究部門 レーザー駆動電子加速技術開発グループ グループ・ディレクター兼務)にTILA開発までの経緯と実用化の可能性をうかがった。

「亜流」の道を歩んだ「光」の研究者

― まず、ご自身の経歴をご紹介ください。

平等拓範特任教授(以下、姓のみ) 自分で言うのもおかしいかもしれませんが、私は亜流の道を歩んできました。福井県鯖江市で生まれ、福井大学工学部電気工学科に入学。小さい頃から祖母に「お天道様に感謝しなさい」と言われて育ち、「光」には特別の関心があったため、大学でもレーザ光を研究しました。

1985年に福井大学大学院修士課程を卒業し、同年4月に三菱電機に入社。北伊丹にあったLSI研究所で1985年から、16ビットのマイクロコントローラーなどCPU関連の研究に従事した後、東京大学の坂本健先生をリーダーとした「TRONプロジェクト」に参加することになりました。現在のIoT社会を見越した斬新なOSと、それにふさわしい高性能CPU開発、いつでもどこでも誰もが使えるユビキタスコンピューティングを目指したプロジェクトで、特に私はメモリーとビルトイン・セルフテストに関するデータ圧縮にかかる開発を担当しました。

しかし、当時は日米半導体摩擦が起こり、TRONプロジェクトも難しくなり、1989年に同社を退社。福井大学工学部・小林喬郎教授の助手になり、専門を半導体・コンピュータからフォトニクスに変え、再び大学での研究生活に戻りました。

そして1993年に文科省派遣在外研究員として10カ月、米国・スタンフォード大学へ出張しました。1996年に東北大学・伊藤弘昌教授のもとで論文博士を取得し、1998年に分子研の准教授になりました。2018年からは理化学研究所(以下、理研)の放射光科学研究センターに新設のレーザー駆動電子加速技術開発グループのグループ・ディレクターとして異動。2019年4月に分子研の社会連携部門および「TILAコンソーシアム」設立に合わせ、現職となりました。今は理研8割、分子研2割の割合で研究・教育に携わっています。

画像:エネルギーから情報まで幅広い対応が可能なレーザ技術左:レーザビーム成形の実験/右:小型集積レーザをロボットに搭載してレーザピーニングを行い、金属表面を硬化させる実験

スタンフォード大でYbレーザと出会う

― スタンフォード大学では同大学副学長、米国光学会、米国物理学会の会長を歴任されたレーザ研究の第一人者、ロバート・ルイス・バイヤー応用物理学教授の研究室で学ばれたとお聞きしています。

平等 私にとって初めての海外経験で、1993年5月からバイヤー教授の研究室に所属して研究することになりました。「新しいことがしたい」という私の希望に対してバイヤー教授から指示されたのがYb(イッテルビウム)レーザ発振の研究でした。教授のところを卒業し、MITリンカーン研究所に移られたファン(Fan)博士が、量子欠損が少なくパワースケーリングが望める新材料としてYb:YAGの室温発振を1991年に発表したからです。当時、研究室では重力波干渉のためのレーザ開発を行っており、次世代レーザとしてYb:YAGに注目していました。

Ybレーザ発振に関するテーマをもらった私に、ほかの研究者は「それは大変だ。前にその研究を担当した研究者は結果を出せないまま消えていった」と話していました。

実は、Ybレーザの発振そのものは1962年には確認されています。しかし、78ケルビン(-195.1℃)まで冷却しないと行けない三準位レーザだったので、ファン博士の研究は限定的で、室温発振Ybレーザの展開は困難で、10カ月ではとても無理と言われました。事実、一般につくられていないYb:YAGは材料の調達からしてままならず、あちこちにメールやファクスや電話をして、ようやく当時は小さな結晶育成会社だったベンチャー企業のサイエンティフィック・マテリアル社でつくってくれることになり、何とか年末になりYb:YAG結晶を入手できました。

ただ、材料が転がっているだけは実験できません。計算で求めた条件を満たすようにロッドから切り出し、さらに表面を光学研磨しないといけません。さいわい、同大学には腕の良い技官さんがいたので、依頼に行きました。しかし、クリスマス休暇も近く、ほかの仕事も溜まっているので、年明けでないと着手できないと言われました。しかし、2月には帰国しなければなりません。タイムリミットが迫る中で拝み倒して引き受けていただき、それを今度は特殊コーティングを行ってくれる会社へ年末までに発送できました。

つづきは本誌2020年1月号でご購読下さい。

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