視点

多くの笑顔に出会いたい ― “今日”を生きる

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年が改まって早1カ月が過ぎ、各所にも本気モードが蘇ってきました。

新年を迎え、元旦に届く年賀状を見るのは正月の楽しみのひとつですが、反面、暮れに届く喪中はがきを見比べて、出す相手を確認する時には寂しい思いがします。

私の実家は菩提寺の宗派が浄土真宗大谷派に属しています。先祖の供養に際しては、ご住職に来ていただき、必ず、正信偈(しょうしんげ)のお経をあげていただくので、今は亡き両親や私をはじめとした子どもたちは、いつの間にか、そのお経を諳(そら)んじて、ご住職とともに祈っていました。私も子どもながらに、窮屈な正座を崩してたしなめられながら唱えた、その節々が記憶に残っており、ここ数年のうちに相次いで亡くなった二親の法事に際しては、ご住職が唱えるお経に、追従するように唱和しています。

お経が終了するとご住職は、浄土真宗本願寺八世の蓮如上人が述べられた「御文」を読み上げられます。その「御文」で私の心に焼きついている文章が「サレハ朝ニハ紅顔アリテ夕(ゆう)ニハ白骨トナレル身ナリ」という一節です。

この「御文」は「今日・明日の事しか考えない人々の姿を見て考えると、人の生涯は儚いものであります。まるで幻のようなものです。朝はあれほど元気そうに見えた人でも、夕には既に亡き人になるかもしれない。今は元気でも、次の瞬間には死んでしまうかもしれない、と。死は、年齢を問いません。だから、その日暮らしの生活ではなくて、これからの生き方を考えてください」という意味だということです。

だからこそ、私は親鸞聖人の「人のいのちは日々に今日やかぎりとおもい、時時(ときどき)に只(ただ)今や終わりと思うべし」という言葉が好きです。

「人の命は今日限りだと毎日思い、また人の命は1日も保てず、今すぐ終わりだ、と時々思うことが大切である」という意味ですが、こうした言葉が心に残っているので、以前の「視点」でも書かせていただきましたが、「一日一生」という言葉が私の座右の銘となっています。

景気は好循環サイクルに入り、いざなぎ景気超えも可能になるほど順調で、何も不安がないような錯覚に陥りますが、実は若い世代から高齢者まで、日本の将来に不安を感じる割合は、減る傾向が見られません。朝鮮半島情勢の問題、南海トラフを震源とする巨大地震発生への不安、国と地方を合わせると1,100兆円にも達する財政赤字、先細りの年金問題、貧困層の子どもたちが13.9%(7人に1人)という格差の問題。これらの社会不安を考えると、浮かれてばかりはいられない、というのが多くの国民の本音なのかもしれません。

また、人生には勝者があれば敗者があるという、二者択一という厳しいルールもあります。勝てば官軍ではなく、「盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず」と身を引き締め、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という謙虚さを持つことも必要です。

そんなことを考えていると、改めて「人の命は今日限り」と捉え、与えられた1日の重みをじっくりと考えることも必要ではないかと思います。私はお客さまとお会いすると、「これから何度この人の笑顔を見ることができるだろう」と自問することがよくあります。どれだけお客さまの笑顔に出会えるか
― 私にとって笑顔は仕事を継続させるエネルギーとなっています。

相手の笑顔を引き出せるよう、そのためにも今“この時”を一生懸命に生きることが大切だと思います。

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