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機械加工から板金加工へ参入

設計・板金加工・機械加工・組立のターンキー受注

日本精密 株式会社

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画像:機械加工から板金加工へ参入①溶接・組立まで完了した制御盤筐体/②レーザマシンFO-MⅡ 2412NT。専任オペレータが新型NC装置AMNC 3iで操作している

営業マンから転身

画像:機械加工から板金加工へ参入金森秀満社長

同社を創業した金森秀満社長は愛媛県大洲市で生まれ、学校卒業後は東京で就職、数年を経てUターンした。

当時、生まれ故郷の大洲市に工場があった松下寿電子工業㈱(現:パナソニックヘルスケア㈱)の孫請けの部品加工工場へ入社、営業担当者として活躍。松下寿電子工業の大洲工場、松山工場、岡山工場、門真工場の仕事を開拓し、勤め先の業績アップに貢献した。

当時は営業一筋だったが、「夜になっても煌々と照らされた工場で営まれるモノづくりには憧れがあり、いつか自分でもモノづくりの工場をやってみたいと思っていました」という金森社長は、1989年に満を持して独立した。

独立後しばらくは、学校時代の友人が営んでいた機械加工工場から仕事をまわしてもらって資金を蓄え、1年後の1990年に日本精密㈱を創業した。

「松下寿電子工業様の担当者に応援していただき、創業後1年経った頃から、ビデオ・DVD・MDなどのAV関連の自動組立機、検査機などの専用装置の仕事を受注できるようになりました」と金森社長は語る。

画像:機械加工から板金加工へ参入左:レーザ加工中のFO-MⅡ 2412NT/右:FO-MⅡで加工した板厚16㎜の製品

1社売上80%―「ぬるま湯に浸かっていた」

金森社長は、機械加工事業をベースに発展し、板金加工事業の取り込みを考えるようになるまでの経緯を次のように語る。

「創業当初は貸工場で、1年目はフライス盤や研削盤を導入し、職人を1名採用、受注した仕事の粗加工は協力工場にお願いして、当社では仕上げ加工を行っていました。事業が軌道に乗るにつれて、毎年のように新しい加工設備を増設、社員も15~16名まで増やしました。半導体検査装置などの仕事もいただくようになり、設計から部品加工、組立までを一貫して行うようになりました。一時期は売上の80%以上が松下寿電子工業様からの仕事でした」。

「ところが、生産の海外移転が始まり、2005年に松下寿電子工業様がパナソニック四国エレクトロニクスに社名変更、さらに2010年にはパナソニックヘルスケアに社名変更、製造拠点の統廃合を急速に進められました。2009年には大洲工場が閉鎖されるなど、パナソニックグループのリ・エンジニアリングで当社も大きな影響を受けました。そこへきて2008年のリーマンショックに追い打ちをかけられ、本当に仕事がなくなりました。それまでは松下寿電子工業様から安定して仕事をいただくことができ、“ぬるま湯”につかっている状態でした。それがこの先もずっと続いていくものと信じ込んでいました」。

  • 画像:機械加工から板金加工へ参入仕上げは各種工作機械で対応している
  • 画像:機械加工から板金加工へ参入板金加工と切削加工を組み合わせた複合加工品

会社情報

会社名
日本精密 株式会社
代表取締役
金森 秀満
住所
愛媛県松山市久谷町97-7
電話
089-963-1169
設立
1990年
従業員数
9名
主要事業
精密部品加工、レーザ加工、板金加工、溶接、FA自動機設計・製作

つづきは本誌2017年6月号でご購読下さい。

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