「チャンスと思ったら果敢に勝負すべき」 ― 先行投資で商機をつかむ
創業以来60年、黒字継続中
株式会社 三陽
①自動金型交換装置付きベンディングマシンHG-1003ATC/②プログラム室で作成された展開図に基づく立体姿図
2019年には年商14億円を達成
高田嘉苗会長(左)と高田昇社長(右)
㈱三陽が個人会社として創業されたのは1960年。昨年子息の高田昇社長にバトンタッチするまでの60年間、創業社長として敏腕を振るってきたのが、今年で77歳となった高田嘉苗会長だ。同社は高田会長が17歳で高校を中退し、金属プレス加工を行う会社として創業した。以来60年、リーマンショック直後を除いて業績は右肩上がりで、一貫して黒字決算を続ける超優良企業に育てあげた。2019年度には年商も14億円を記録している。
高田会長は「私の父は長兄とプレス工場をやっていましたが、経営方針を巡って対立し、長兄は工場にあったプレス機数台を持って独立しました。父の手元に残ったのは古いプレス機数台と銀行からの借金40万円でした。私は五男でしたが小さい頃から工場に出入りし、中学生の時にはアルバイトとしてプレスを踏んでいました。それで『なんとか父の力になりたい』と思い、高校を中退。借金40万円を肩代わりし、古いプレスを活用して金属加工業を始めました」と、当時を回想する。
会社創業後はガムシャラに働き、毎月の売上の半分を借金返済に充て、2年で完済した。借金返済という目標で働いてきたので完済した途端に目標を失いかけたが、気持ちを入れ替え、返済に充てていた分を貯金にまわした。すると2年あまりで貯金が150万円になった。
それまでは自宅兼工場で敷地も80坪と手狭だったので、広い場所へ移転するために土地を探した。そして現在地に300坪の土地を購入し、父とふたりで暮らす家と、ちょっとした仕事ができる30坪ほどの小屋を建設した。そこで仕事をするうちに近所の主婦が「農閑期に働きたい」と来るようになり、従業員も少しずつ増えていった。しばらくして80坪の工場を建設し、プレスの仕事を始めた。
ファイバーレーザマシンFLC-3015AJ+ASFH-3015
パンチ・レーザ複合マシンEML-3610NT+AS-3015NTK+ULS-3015NTK
「設備が仕事を持ってくる」
「当時20~30人のプレス工場の主力は2号プレスといわれた60トン、70トンのプレスでしたが、私は思い切って100トンプレスを新たに導入しました。すると『100トンプレスがあるならこんな仕事はできないか』と新たなお客さまが仕事を持ってきてくれるようになりました」。
「『仕事をください』と『仕事をやってください』では単価も立場もちがってきます。このことを通じて、他社にはない設備を導入することによって得られる利益があるということを学習しました。そこで次には150トンプレスを導入して、さらにお客さまと仕事を増やしていきました」(高田会長)。
左:創業当時から続くプレス加工部門/右:曲げ加工された製品
会社情報
- 会社名
- 株式会社 三陽
- 代表取締役社長
- 高田 昇
- 所在地
- 栃木県佐野市町谷町10
- 電話
- 0283-23-5141
- 設立
- 1989年
- 従業員数
- 65名
- 主要製品
- 輸送機器部品、特装車両部品、産業車両部品、建設機器部品、弱電機部品、パイプ加工品
つづきは本誌2020年12月号でご購読下さい。