〜SHEET NOW〜
プレスから精密板金主体へとシフト 「ヒトの頭にあるイメージをカタチに変えたい」 ![]() 現代表取締役の脇山和人さんは高校卒業後、情報処理の専門学校に進み、卒業後はコンピュータプログラマとして情報処理会社に勤務したのち、同社に入社した。「あの頃はプログラム言語がCOBOLからC言語へと変わる時期で、大変でした」と笑いながら懐かしそうに話す。 1993年、脇山社長が22歳で同社に入社した頃は、業態をプレス主体から精密板金主体へと移行する時期だった。 脇山社長は当時を振り返り「入社当初はフライス盤で削りモノなどの仕事をしていましたが、"設備力不足"を通感するようになりました。板金主体へと業態を変えるにしても、セットプレスがあるだけ。逆に考えると、そのような設備で大手メーカーが満足する製品を納めていたわけですから、おかしな話かもしれませんが、父や当時の社員に対する尊敬の念がかえって強くなりました」と語る。 そうして元からモノづくりが好きだった脇山社長は、自然と「ヒトの頭にあるイメージをカタチに変えたい――構想図やマンガ、ポンチ絵から図面を起こし、カタチに仕上げる仕事がしたい」という思いを抱くようになっていった。 阪神・淡路大震災後の補強工事の仕事が転機 ![]() 同社にも、新幹線の橋脚の補強の仕事がきた。長さ5mにも及ぶ鉄材の加工は、経験がなかったが、当時の工場長の「依頼された仕事は"気合"と"根性"でつくる」という熱い志の賜物で、工夫しながら対応していった。JRグループや西日本高速道路(旧・日本道路公団)関連の仕事の場合、作業報告書などの提出を求められ、苦心した。どのような設備で、どのような工程を経て加工したかを報告書にまとめ、重要箇所の写真などを証明書として添付しなければならず、それまで経験のなかった製作マニュアルや工程手順書などを整備していった。1カ月ほどの間、毎日夜遅くまでかかって納入先のチェックを受けたこともあった。... つづきは本誌2013年2月号でご購読下さい。 |