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“会社再生”に粉骨砕身した3年間 ![]() 社長就任当時の同社は、「経営者不在」「売上の大幅減」「保有設備の老朽化」など課題が山積していた。山崎社長は、会社を再生するべく就任時から現在に至るまでの3年間、新規得意先の開拓、社員との活発なコミュニケーション、積極的な設備投資、モノづくりのデジタル化や“見える化”などの取り組みに奔走してきた。 その労が実り、現在の同社は山崎社長をはじめ社員同士が密な連携を取り合うコミュニケーションが構築され、ホームページや山崎社長のブログ、口コミなどから新規の仕事を受注し多忙な日々が続く、好循環な経営体質を持つ企業へと成長した。 経営者不在とリーマンショックの影響で窮地に立つ ![]() 先代は、社長業・営業・現場管理を兼ね、清水区近郊の企業を中心に射出成型機カバーの製作・組立や工作機械カバーの製作などの仕事を主に受注してきた。 2004年頃に先代の体調不良により経営者不在の状態がしばらく続いた。そのうえ、リーマンショックが業績悪化に追い打ちをかけた。一時は廃業も考えたというが、山崎社長は「会社を守ってきてくれた社員を、今度は会社が守らなければならない」と先代に直訴。事業継承を決意した。 山崎社長は当時を振り返り「当社に昔からいる社員の皆さんは、当社とともに人生を歩み、生産・進捗管理システムも満足にないKKD(勘・経験・度胸)経営でゴチャゴチャな状態だった当社と、お客さまへの信頼を必死に守り続けてくれました。その人たちの働く場をなくしてはいけないという思いから、会社を継ぐことを決意しました」と語る。... つづきは本誌2013年1月号でご購読下さい。 |