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徳之島から ![]() 吉岡社長の故郷・徳之島は、世界最長寿記録を打ち立てた故・泉重千代さん(122歳で没)で有名な島。両親は砂糖きび畑で生計を立てる。その重労働を開放するべく、きびを刈り取る機械や、圧搾する機械などを開発して楽をさせてあげたいと、考えていたからこそ、工学系の大学へ進学した。当初の志は、親にラクさせる農業機械のアイデアを事業化することだったが、早々に実現は難しいと判断した。 「18歳からシャーリング工場で働き始めました。そこにはシャーリングが3台とガス溶断機などもあって、結構忙しく会社が回っていました。私も見よう見まねで仕事を覚え、受発注や代金の回収など、モノとお金の流れを実際に経験し知識が身についていきました」と、話し始める吉岡社長。 2度の試練を潜り抜ける ![]() 「少しの蓄えはありましたが、開業には数千万円の資金が必要です。そんなときにアマダさんが、財産など何もなかった私に長期割賦で機械を売ってくれました。これには今でも感謝しています。数千万円の保証人を父親に頼んだら『そんな大金、とても無理。やめとけ』と忠告されましたが、私の決心は揺らぎませんでした。皆さんに応援していただく喜びをバネに、懸命に働きました」。 「借りた工場は天井クレーンを備え、工場としては申し分なかったのですが、ところが、宅地整備され騒音や振動が制限される『2種地域』に指定が変わっていました。契約時にそんな説明はなく、受注した仕事は納期に間に合わせなければいけない。開業早々に周辺住民からクレームが出て仕事後に1軒1軒頭を下げで回りました。市の環境課からも公害防止条例違反を指摘され、にっちもさっちも行かなくなりました」と不運を話し出す。 再度契約書を見直し別の不動産屋に調整を頼んで、前の工場の契約金や前払い金を回収、次の工場に移転することができた。次第に仕事が増えて順調に進むかに見えた頃、今度は1,500万円の不渡りをつかまされた。... つづきは本誌2011年11月号でご購読下さい。 |