効率的で合理的な「精密板金工場」を目指す
小物・薄板精密板金の2次サプライヤーに徹する
有限会社 瑞昭鈑金製作所
2019年に導入したファイバーレーザマシンFLC-3015AJ+LST-3015F1
両親が手板金加工で起業
近藤信行社長
近藤信行社長が15歳の時、両親と職人2名で自宅敷地内に㈲瑞昭鈑金製作所の前身である事業所を開業。三菱重工業から自動車関連の仕事を受注、手板金加工で筐体などの製作を始めた。
近藤社長は高校卒業後、知り合いの鉄工所へ修行に出て、ものづくり技術を習得した。しかし、同じ頃父親の具合が悪くなり、1年後に急逝。母親が代表を務め、事業を継承した。近藤社長は5年間の修行を終え23歳で会社に戻ると、母親の仕事を手伝うようになった。30歳を過ぎた1978年、母親の発案で㈲瑞昭鈑金製作所を設立、初代社長に近藤社長が就任した。
「就任後にはご挨拶にまわりました。一部のお客さまからは『社長が若いから将来がある。これからも仕事をお願いしたい』と、前向きの話をいただきました」(近藤社長)。
左:サイクルローダー付きで導入したパンチングマシンEM-2510NT+ASR-48M/右:曲げのネットワークシステムとして導入したHDS-5020NT
手板金から機械板金へ
法人化後は工場設備の機械化を徐々に進めていった。
「以前、修行していた工場にはアマダのシャーリングマシンやベンディングマシンがあり、自社にも早くこうした機械を導入したいと思っていました」と近藤社長は語る。そして、アマダの小牧営業所(当時)からシャーリングマシン、ベンディングマシンなどを60回ローンで購入、設備を充実させていった。
しばらくしてユニットパンチプレスを導入した。当時としては画期的なパンチングプレスで、ロットの大きな加工も穴あけ加工も数段速くできるようになった。
「機械化したことで作業効率が良くなり、受注も増え、ずいぶん儲けさせていただきました。しかし、100個以上の加工をやると手が疲れ、腱鞘炎になってしまったのでほかの仕事を入れるなどの工夫しました。しかし、シャーリングで切板を製作→穴あけ→曲げ→溶接になるので、抜きが終わらないことには後工程が進みません」。
「1970年代は田中角栄元首相の『日本列島改造計画』の影響で好景気が続きました。無我夢中で働き、毎月80時間以上の残業で何とか乗り切っている状態でした」(近藤社長)。
そこで「少しでも仕事を楽にしたい」とタレットパンチプレスPEGAを導入、結果として仕事はますます増えていった。
HDS-NTによる曲げ加工
アルミ製のシャーシ
会社情報
- 会社名
- 有限会社 瑞昭鈑金製作所
- 代表取締役社長
- 近藤 信行
- 所在地
- 愛知県名古屋市瑞穂区弥富町茨山24
- 電話
- 052-831-0285
- 設立
- 1978年
- 従業員数
- 7名
- 事業内容
- 制御盤、半導体用ボックス、アミューズメント、精密板金、試作、表面処理(アルマイト・メッキ塗装)、溶接
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