パンチ・レーザ複合マシン最新活用事例
サクセスへの道―それは1枚の「メモ書き」から始まった
人を信じる社長の信念が改革実行を支える
株式会社 東洋スチール製作所
農機具向け板金部材から発展
1975年、現会長の土橋(つちはし)篤二朗氏が㈱東洋スチール製作所を高松市内で設立。シャーリングやベンディングマシン、プレス、スポット・半自動溶接機などを設備して、広島県内にある農機具メーカーの育苗器、稲用播種機、真空野菜播種機などに使う板金部材を加工するようになった。
1980年に工場が手狭になり、高松市岡本町から高松市香川町大野に移転。1986年、業務拡大により高松市香南町西庄に増築し、1990年以後も順々に工場を増築。2000年に本社および大野工場、すべての業務を香南町西庄に移転、集約。2007年、土橋真一朗氏が代表取締役に、父親である土橋篤二朗氏が取締役会長に就任した。
2008年にパンチングマシンEMZ-3510NT+ASR-48Mを導入。2013年12月、新工場にEMZ-3510NTとの入れ替えでパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512T+ASR-2512NTKを導入した。
土橋社長は、勢いのある社員たちの活躍を前に「彼らにもっとしてあげられることはないか」と、社員への負荷が過剰にならないか、設備に不足はないだろうかと、日々考えを巡らせ続けている。
建設機械、マイクロエレクトロニクス関連へと拡大
対面していただいた土橋社長は、一般的な経営者然とした様子でなく、徳を積んだ僧侶の風格がある。取材は、土橋社長のにこやかで穏やかな話から始まった。
「創業してしばらくの間は育苗器、稲用播種機、真空野菜播種機などに使う板金部材を加工していました。事業が拡大するのにともなって工場が手狭になり、しかも新工場周辺に住宅が建って騒音問題が発生したことから、2000年に現在地へ工場を建設、移転しました」。
「私は工科系の短期大学を卒業後、3年間は同じ製造業でも家業とは異なる仕事をしていました。2年半ほど経った夏に帰省して、会長の後ろ姿を見たとき、それと『戻ってこんか』と声をかけられたときに感じるものがあり、入社することを決心しました。1996年に24歳で当社に入社して、12年後の2008年、会長が65歳になったことを契機に36歳だった私が2代目社長に就任しました。入社した当時は、すでにパンチングマシンPEGA-357やベンディングマシンRG-35S/80などがありました。私自身は中学生の頃からモノづくりに興味を持ち、夏休みなどに工場へ来てはアルバイトでプレスを踏んだり、スポットをいじったりしていたので、多少の知識は持っていました。入社後はとにかく何でもやってみよう、ということで抜き・曲げ・溶接からすべての雑用を引き受けました」。土橋社長は入社当時やモノづくりが好きだった少年時代を振り返ってこのように語る。
会社概要
- 会社名
- 株式会社 東洋スチール製作所
- 代表取締役
- 土橋 真一朗
- 住所
- 香川県高松市香南町西庄313-10
- 電話
- 087-879-6804
- 設立
- 1975年
- 従業員
- 30名
- 業務内容
- 板金加工、鉄・ステンレス部品製作
つづきは本誌2015年5月号でご購読下さい。
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