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日光国立公園を仰ぎ見る ![]() 「長男の責任」を自覚して帰郷 ![]() 25歳の時、小泉家の長男である小泉社長は、親の傍にいることが最大の親孝行と考え、郷里へUターンした。 腕におぼえがあるのは塗装全般だった。帰郷後は、県内下都賀郡石橋町に小泉塗装工業所を創設し、知人などから塗装の仕事を受託していった。さいわい、下都賀郡には工業団地「おもちゃのまち」があり、その中の大手メーカーからダイキャスト製のミニカーの塗装の仕事を受注するようになった。 当時、男児の間では1人で十数台集めるほど流行り、友達とコレクションを競ったりするあの“ミニカー”だ。 業績は右肩上がりで伸び、1979年に有限会社として法人化。1981年には32歳で現住所(当時は今市市)の土地を購入し、工場を建て、本社事務所と工場を移転した。 1984年には自動前処理装置および自動静電塗装ラインを設置し、仕事はさらに拡大していったため将来を見越して、1985年に地続きの土地を取得した。1987年には、浸透式前処理槽(L6m×W1.5m×H1.5m)装置を導入、地域になくてはならない塗装加工の第一人者として地歩を固めていった。... つづきは本誌2012年11月号でご購読下さい。 |