〜食糧安保が後押し──市場拡大が続く農業機械〜
自転車店から農機メーカーへ ![]() 同社のルーツは、1926年に現社長の祖父である荻原正平氏が創業した「荻原自転車店」。その後、溶接業を併設し、1953年に渇ャ原商会を設立。手押し一輪車や除雪用具「スノーブル」といった自社製品の生産・販売を手がけるようになる。 1972年に現社長の父である荻原一雄氏が2代目社長に就任してからは、新潟県内の農業機械メーカーから仕事を受注するようになったのを機に、業容を拡大。プレス部門・機械加工部門を新設し、生産能力を増強するとともに、「苗箱コンテナ」「リヤーバケット」「コンバイントレーラー」といった自社製品を次々に開発、農業機械分野へと進出していった。 2006年に社長に就任するまで荻原社長は営業担当として30年、「全農」を初めとする販売店やエンドユーザーである農家をまわって製品の売り込み、フォローアップの活動を精力的に行ってきた。その過程では大手の農業機械メーカーの販売担当者とも顔つなぎができた。2006年に4代目社長に就任する頃には、知り合った販売担当者も社内で昇進、経営幹部にまでのぼり詰める人も出てきた。それが荻原社長の人脈となって「オギハラさんでこんな仕事を手伝ってもらえないか」とOEM生産や、受託生産の話が舞い込むようになっていった。 自社製品、OEM 生産、受託加工、仕入れ・販売の4 部門 ![]() リーマンショック後の2009年は日を追うごとに得意先からの仕事が引き上げられていき、売上は前年比20%減となった。 2006年に代表取締役社長に就任した荻原潔氏は「リーマンショック直後は思い出したくもないほど戦々恐々としていました」と語る。 ![]() リーマンショックの影響による落ち込みは半年ほどで回復し、2010年度、2011年度は2期連続で増収となった。 荻原社長は「(1)の自社製品の販売は堅調で、(2)のOEM生産は新規得意先を開拓、(3)の搬送機器・工作機械関連の仕事は回復し、(4)の仕入れ商品は地道な営業活動が実を結んでようやく軌道に乗り始めました。すべての部門が上向きで推移しています。これは『農機市場が伸びた結果』の一言では片付けられません。私を含め、社員全員の経営努力、営業努力の賜物だと自負しています。今年はまだ始まったばかりですが、前年比10%程度の成長が期待できる良好なスタートを切れました」と胸を張る。... つづきは本誌2012年4月号でご購読下さい。 |