〜拡大が続く中国のアミューズメント市場〜
設立から製造立ち上げまでの経緯 ![]() 2002年からライセンス規制が緩和され、2003年に広州铃基電子科技有限公司を設立、太田俊弘氏が董事長に就任した。当初は従業員50名とプレス機数台。製造経験は皆無のため、得意先の要求に応えられず、ある得意先からは「もう製造はやめた方がよい」とまで言われた。とはいえ、日系メーカーの精度要求は厳しく、外部の板金加工業者からは敬遠されていたため、自社でやらざるを得ない状況だった。そこで、2004年にアマダのARIES-255NT、RG1003×2台を導入し、どのように品質を上げ、日系メーカーの精度要求に応えるか、毎日、製造スタッフと模索を続けた。 「当時、アマダ深圳の担当者には様々なアドバイスをもらった。他業界の板金工場の見学や当時の最新の加工技術を提案していただいた。とても感謝している」と太田俊弘董事長。 中国のゲーム業界では、大半のメーカーは自社で製造部門を持たないが、同社は一部の量産と品質の維持、試作品対応ができる体制となっている。 ゲーム機筐体や機構部品を製作 ![]() 同社で製作されたゲーム機筐体は塗装・表面処理が施された後、親会社の華立科技集団で組立作業を行い、ゲームソフトをインストール、ゲーム機として中国国内や日本、アジア諸国へ輸出される。 その際には、親会社である華立科技から発注される注文情報に従って、ERP※を活用した生産管理システムで負荷の山積み・山崩しを行っている。... つづきは本誌2011年5月号でご購読下さい。 |