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「天空に輝き、万物を育む太陽のように」が会社の元始 ![]() 中国に進出したきっかけ ![]() 柳本社長は、中国に出かけていろいろな要人と会った。その中で1998年に会った政府関係者は「(共産主義という)思想は変えないが、日本などの資本主義の良いところを採用して、中国人民の技術も生活レベルを向上したい」と言われた。この話を聞いて、「改革開放路線が定着してきた」と感じたという。以来、丸1年かけて毎月1週間ずつ、中国へ出張し中央政府や、進出を考えていた地方の政府関係者と面談して進出先を絞り込んでいった。その中で蕭山(ショウサン)市長とは「蕭山市をどうしたいのか」と熱っぽく対話し理解を深めた。市長は『西湖という風光明媚な蕭山を工業化したい』と語った。それなら我々でも役に立てるかも知れない、と意を決し進出を決めた。大連・広州などの経済開発区を見たが、どうせ出るなら大陸のど真ん中に出たいと考えた。同社の設備で1番重量のある設備は約30トン、地盤の固い地域を探し、結果、1999年3月に蕭山太陽機械有限公司を設立し、翌年本格稼働させた。工場の生産ラインは日本とオンラインで繋がれ日本でエンジニアリングされて完成したソフトによって稼働させている。 譲れないコンセプト 柳本社長の海外進出のコンセプトは事業活動を通じて日本と中国の架け橋の役目を果たしたい―それを基本思想にしていた。同社進出の2年後くらいに各メーカーが中国、中国と騒ぐようになり、日本からバイヤーも多く出てきた。同社が製造する装置はいろいろなパーツがないと製品にならない。当初はローカルベンダーから部材を集めてみるが精度などの点でレベルが揃わない。さらに、個々の単品コストは安いがトータルにすると高い値段になる。バイヤーが求めているのは何かと考え、すべての部品が日本品質で製造できるサプライヤーを目指すに至り「自分たちのゾーンに入ってもらったらすべての部品が日本の品質で調達できます」とPR。一般部品の仕事はローカルに任せ2/100以下の精度の高い部品ができる会社にしよう、と挑戦。次にはミクロン加工を安定させ、さらに表面処理にも進出した。... つづきは本誌2010年7月号でご購読下さい。 |