特集

安全・安心と自動化への対応で変わる食品機械業界

冷熱機器・バイオ式生ゴミ処理機などで大躍進

設計・加工・据付まで一貫対応の現場力で差別化

米田工機 株式会社

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画像:冷熱機器・バイオ式生ゴミ処理機などで大躍進本社・工場3階にあるテストルーム。同社の充実した設備群が設置され、お客さまが食品の素材を持ち込んで、加工を試すことができる

冷凍機の加工技術を礎に発展

米田工機㈱は1961年、兵庫区菊水町にて、ステンレスの冷凍機のカバー製作を主とする家内工業として創業、1965年に称号を米田冷機商会とした。1967年に須磨区竹ノ下に工場移転、1973年に㈱米田冷機工業所として法人設立、冷凍機や冷凍ショーケースなどを製作するようになっていった。

1981年に2代目社長として米田稔社長が就任、1982年には製造と販売を分離して独立採算性を確立した。しかし、この頃から大手企業が冷凍機業界に参入するようになり、コスト競争が激化していった。そこで米田社長は長年培ってきたステンレスなどの薄板板金加工・溶接技術を応用して受託加工業にシフト。その一方で、生産を平準化する狙いから、空いた工数で環境機器である生ゴミ処理機を開発、学校給食や大手企業、自衛隊などの給食センター向けに製造・販売するようになっていった。

高度成長時代のニーズを受け、得意先も拡大。事業の成長に合わせて工場や倉庫を増設した。加工設備もアマダのシャーリングマシン、ベンディングマシンを次々導入していった。1990年に神戸市西区神出町に移転し、社名を米田工機㈱に変更し、製販を統合。あの阪神・淡路大震災も乗り越え、2007年、現住所に本社・工場を新築移転した。

その直後にリーマンショックが発生。そこで米田社長は受託加工部門、環境装置部門に加え、冷凍機の技術を活かした食品機械部門を育成、これを新しい事業の柱に育てていくことを決めた。輝くような本社工場へ移転して社員たちのモチベーションは上がり、冷凍・解凍、加熱技術を自社製品へと開花させていった。その優れた製品群とプロデュース力がテレビや新聞などのメディアでも紹介されるようになった。

画像:冷熱機器・バイオ式生ゴミ処理機などで大躍進米田稔社長を中心に、北川將治取締役営業部長(左)と小西敬三製造事業部部長(右)が並ぶ

「下請けから自社ブランドメーカーへ」が合い言葉

米田社長は「当社は1961年の設立以来、ステンレスの製缶加工やOEM製作を通じて培った経験・ノウハウを活かしたオリジナル機械の開発にも取り組んできました。『下請けから自社ブランドメーカーへ』を合い言葉に、設計から組立、据付工事までの一貫対応を目指し、特許技術である超急速凍結機、高鮮度保持解凍機などを主に、バイオ式生ゴミ処理機などにも注力しています」。

「創業当初から受注量の変動が大きく、受注単価も段々と引き下げられ、将来に不安を感じるようになってきました。やがて『他人に左右されない自社製品を持ちたい』と思うようになり、手が空いたときに『自社の冷凍技術を活かした“何か”を創りたい』と思うようになり、試行錯誤を始めました」と、自社製品誕生までのいきさつを穏やかな口調で話し始めた。

同社は現在、一般社団法人日本食品機械工業会の賛助会員であり、本格的に自社開発した商品としては、超急速凍結機「リ・ジョイスフリーザー」や高鮮度保持解凍機「リ・ジョイスデフロスター」などの冷凍・解凍機器、過熱水蒸気を利用した連続式食品加熱装置などがある。

画像:冷熱機器・バイオ式生ゴミ処理機などで大躍進左:2階の事務所からは製造現場が俯瞰できる/右:高品質なステンレス製品

つづきは本誌2015年3月号でご購読下さい。

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