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「永く支えられて」―創業80周年をむかえた配電盤メーカー

3次元設計の導入とシームレス連携による生産改革を断行、FO-MⅡ RIの活用でアングルフレームの組立を効率化

株式会社 永井電機工業所

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画像:「永く支えられて」―創業80周年をむかえた配電盤メーカー検査中の民間工場向け制御盤

電気機器の販売・修理から配電盤メーカーへ

鳥取県米子市にある㈱永井電機工業所は、昨年、創業80周年を迎えた山陰地方を代表する配電盤メーカー。

同社は1934年、創業者である永井善蔵氏が鳥取県中部の倉吉市で「永井電機商店」として開業し、モーター・変圧器・発電機といった電機機器の販売・修理の事業を手がけ始めた。1944年、倉吉市から県西部の米子市に移転。1967年には、米子市内の現在地に新社屋と電機工場を建設し、電機機器の販売・修理業では頭打ちだった付加価値の改善を目指し、配電盤製造の事業をスタートした。

4代目社長の永井善郎氏は「配電盤の製造を始めたばかりのころは、地元の公共建築物向けのキュービクルや分電盤を製作していました。しかし県としての人口が60万人に満たない鳥取県で、地元の公共事業だけに頼っていたのでは仕事が続きません。1986年からは東芝グループの西芝電機様(兵庫県)の協力工場として“外注盤”の受託製造を手がけるようになり、地元の公共建築物向けと西芝電機の“外注盤”の仕事がおよそ半々になりました。ただし“外注盤”の仕事は、設計も最終品質保証もお客さまが行い、電装品は100%支給。当社では構造設計以降の板金加工と塗装、組配を行ってお納めする形態ですから、多くの付加価値はのぞめませんでした。1997年頃に大手電機メーカーから直接取引のお声かけをいただいたことを契機に、設計から加工、組立、電装組み込み、最終検査、出荷までを自社で一貫して行えるようになって、配電盤メーカーとしてのブランドを確立していきました」と語る。

画像:「永く支えられて」―創業80周年をむかえた配電盤メーカー代表取締役の永井善郎氏(右)と取締役工場長の永井信雄氏(左)

県外の大手民間工場向け受配電設備がメイン

配電盤メーカーへと発展するにあたっては、設計強化のために設計室を新設し、最終品質確保のために検査をする専門の部署をつくり、2002年にはISO9001を取得。試行錯誤を繰り返しながら技術力を高めていくうちに、得意先の信頼が得られ、着実に仕事が増えていった。創業以来の電機機器の販売・修理の事業も継続しており、「販売・製造・保守の総合システム」が同社の特長となっている。

「私は『外貨を稼ぐ』と言っているのですが、今では県外の民間向けの仕事がほとんど。東芝、東芝三菱電機産業システム(TMEIC)といった大手メーカーや大手商社のお客さまから仕事をいただいています。出荷先は全国。大手民間企業の工場の受変電設備(大型の高圧閉鎖配電盤や低圧盤)が中心で、エンドユーザーからのリピート受注も増えています」。

「こうした事業形態のため、民間設備投資の動向は実感として伝わってきます。リーマンショック前は大手メーカーの業績が右肩上がりで、工場の受変電設備の仕事も好調でした。リーマンショック後は仕事量が急激に落ち込み、デフレスパイラルで価格も下がりました。最近は民間の設備投資が上向き、アベノミクスの効果を感じていますが、盤業界は分野によってまだら模様。当社が手がけているような民間の工場向けの高圧閉鎖配電盤や低圧盤は、受注が回復しているとはいえ、仕事量・価格ともにまだリーマンショック前にはおよびません」。

画像:「永く支えられて」―創業80周年をむかえた配電盤メーカー左:アングルフレームの組立工程の合理化のため、2014年3月に導入したロータリーインデックス装置付きのレーザマシンFO-MⅡRI 3015/右:3次元設計により、嵌め合い構造やタブ・ノッチを用いた位置決めを採用し、溶接・組立工数は半分以下に短縮した

つづきは本誌2015年2月号でご購読下さい。

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