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「終活」を考える

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最近、身近な人の死を経験して、人生の終わりをより良いものとするため、事前の準備を行う、いわゆる「終活」に関心を持つようになった。そして、書店へ行ってみて、「終活」に関連した書籍の多さに驚いた。とりわけお墓に関連した書籍や遺言書、遺産相続に関連したものが多い。これまでは、「終わりなき人生などあろうはずがなく、人間はいずれ死んでいくもの、自然体でそのときを迎えればいい」と簡単に考えていたが、後に残された家族のことを考えると、それなりの準備をして“その時”を迎えなければ、後に残された人が、心穏やかに偲んで過ごすことができないのではないか、と実感として分かりました。

昨年末に亡くなった父は、遺言書に遺産相続は当然のこと、死後の斎場から葬儀の進め方、お願いする導師、さらには沙汰をする親戚、友人のリストまで克明に書き残しており、遺族はそれに従って、粛々と進めることができた。しかし、それでも書き残されていない様々なことが山積していた。特に父が手塩にかけて育ててきた盆栽や庭木、草花の手入れや、書き溜めてきた詩歌の後始末など、その整理だけでも結構な日数を取られた。また、書斎の本棚にあった書籍の始末も大変だった。七日参りで週末には実家に帰省していたが、お参りの時間を除くと、大半はこうした後始末に忙殺された。さらに、残された母親の相手もしなければならず、ひたすら作業をするという訳にもいかず、本人亡き後、業者に一任してしまう、という話もまんざら薄情とは言えないということも実感として分かりました。

しかし、いろいろな方々にお聞きすると、まだこの程度で終わっているのは良い方だという。司法書士や税理士によると、半端ではない後始末もあるようだ。故人の後始末をする中で、もし自分が父の立場だったらどうしていたのだろうか、いろいろ考えさせられている。だから「終活」を真剣に考えるようになったともいえる。

人の一生と同じように、企業も創業から始まって代々継承して事業を継続していくことが望ましいが、創業者が亡くなって、2代目になったとたんに倒産する企業も多い。また、後継者がいないために一代で廃業する企業も後を絶たない。ここ最近は、企業の倒産件数よりも後継者難で廃業する企業の数が多いとも聞く。

企業経営者も早くから「終活」を考え、事業後継者の育成から、集中と選択で事業を見直して代々継承できるような磐石な企業体質をつくることが求められている。

最近、訪問する企業の大半の経営者は、「100年企業を目指している」と語られるが、足元の後継者問題となると、口を濁される方が多い。かくいう弊社も今年の12月で創業40周年を迎える。勤めていた業界新聞社の編集、出版、営業の仲間3人で、1975年12月に創業。その間に創業当時の仲間は亡くなったり、仕事を変えたりと去り、残った私が何とかここまで事業を継承することができた。40周年の節目を迎えてそろそろ代を継承するための引継ぎを考えなければいけない。いわば、自身と会社の「終活」を考える年代になってきた。

しかし、以前も別のコラムに書きましたが、サミュエル・ウルマンの「青春」に詠まれているように「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ」ということであれば、自分なりには動ける間は、記者としてお客さまの工場を歩き、あるがままの今を読者にお届けしていきたいとも考えています。

希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる―。自身の「終活」を視野に入れながらも未来に希望と勇気が持てるような日本の製造業、板金業界を目指すことが大切だと改めて感じています。

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